モザイクアートを織りなす456枚の自炊日記。愛おしい日々の蓄積

私は大学生で、現在1人暮らしをしている。食事は自分で作ることが多い。
このことを初対面の人に話すと好意的に受け止めてもらえることが多いが、なにも私は昔から料理が好きだったわけではない。
1人暮らしを始める前、私は自分の忙しさにかこつけて、料理はおろかほとんど手伝いをしていなかった。進学のため実家を発つことが決まってからも、母に「あんた本当に1人でやっていけるの~?」と心配され、「〇〇(私)が自炊するイメージできない」という大層失礼な予想を兄弟にされる始末。私がどのような人間だったのかこれで少しお判りいただけただろう。
いざ1人暮らしが始まり、近くのスーパーに行った。母の買い物についていくことはこれまでもあったが、1人で買い物や献立の計画を立てて行くことはほとんどなかった。なんだかひどく緊張したことを覚えている。
最初に作った料理はホームシックがひどかったこともあり、母が頻繁に作ってくれた人参しりしり。その写真を見ると、明らかにサイズがばらばらな細切りらしき切り方の人参、今じゃ見る影もないピッカピカのフライパンや物が少ないコンロ周り、なんだかおかしく傾いている写真の構図、一周まわってもう面白い。
当時は「1人で料理ができた」ということだけで嬉しく、自慢げに家族に写真を送り、「自炊日記」と称した写真アルバムを作った。それでも、この喜びはきっと一瞬で、自炊が自分に続けられるものだとは思えず、「とりあえず飽きるまで続けてみよう」と思っていた。
しかし最初は手を出しやすい野菜から、次に肉や魚、ついにはデザートと当初の私の予想に反して自炊への意欲は徐々に高まっていった。
そうして自炊開始からしばらく経過した今、実感するのは母の偉大さだ。
帰宅してから自分のためだけにキッチンに立つことが億劫に思う瞬間があるのに、母は毎日仕事を終えた帰宅後に、家族全員の分を、準備から後片付けまで行う。母の活動量には本当に頭が下がる。
だが、自炊を始めたからこそ気づいたこともある。それは実家に帰ったときに必ず聞かれる「今日の夜、何食べたい?」の一言に含まれた、今まで気づけなかった母からの大きな愛情だ。そんなとき私は必ず「じゃあ、餃子で!」とリクエストする。
「また面倒くさいのを……」と言われることもあるが、母の味は自分で作ってもなかなか再現することができない。面と向かって言うことはまだ恥ずかしいが、母の料理は一番美味しい。
今私のスマホの中にある自炊日記は456枚を記録している。小洒落た料理から人に見せるには憚られるような見た目の失敗作までさまざまでまるでモザイクアートのようだ。このまとまりのなさが私のなにげない日々の蓄積に見えて愛おしい。
そんな私の次なる目標はお弁当作りだ。衛生面や朝の忙しさから敬遠し続けていた。お弁当作りを始めて考慮しなくてはいけないことも増えたが、それ以上にできることが増える実感や自分の生活の舵をしっかりと握れている感覚が嬉しい。
1人で「いただきます」と呟く瞬間、私は自分のなんてことない日常を着実に生きられていると実感する。その実感を得るために私は料理をしているのかもしれない。この先、どんな自炊日記に変貌していくのか楽しみだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。