「今日はこれが食べたい」を無視しないで受け止める。自分を許す練習

ウエディングフォトのためにダイエットをした。15キロ落とした私は、今もそれをずっとキープしている。
「細いね」と言われるようになった。XSサイズのデニムが入った時は、本当に嬉しくなった。それでも、ふと思うことがある。
私は、何に優越感を感じているのだろう。
ダイエットをした。ダイエットに成功した。それでも、それと引き換えに、私は、食べることを純粋に楽しむことができなくなった。
コンビニに行っても、スーパーに行っても、一番最初に確認するのは裏の栄養成分表示。
カロリーは?脂質は?タンパク質は?糖質は?美味しそうだと、そう思っても、数字がそれを否定する。心が否定してしまうのだ。
「これは脂質が多いからやめておこう」
「今日はお昼に炭水化物を食べたから、夜は控えよう」
そんな風に、自分の欲をいちいち分解して、制御して、我慢する。自分へのご褒美を買いに行ったはずなのに、選ぶのは食べても罪悪感が少なそうなもの。食べた後に残るのは、満足感ではなく、小さな後悔や反省だったりする。何をしているのだろう……
気づいたら、ダイエットを始める前の自分の食生活が、ほとんど思い出せなくなっていた。あの頃、私は何をどんなふうに食べていたんだろう?お腹が空いたから食べて、満足したら終わる。そんな当たり前のことが、今はとても遠く感じる。
いつから私は、食べることに理由や計算が必要になったんだろう。ただ、おいしいねと言えることが、どれだけ幸せだったか。今になってようやく、その価値に気づく。
それでも、私は健康でいたい。年齢を重ねるごとに、身体の変化や不調を感じることも増えた。食べすぎれば胃もたれするし、暴飲暴食は翌日に響く。体重だけじゃなく、血液検査の数値だって気になる。ただ見た目を整えるためだけじゃなくて、元気に動ける身体でいたい。だから、食事に気をつけることをやめたいわけではない。食べることの意味が、太る、痩せるだけでは語れないと、今は思っている。
最近、少しずつだけど、自分を許す練習をしている。「今日はこれが食べたい」と思ったら、その気持ちを無視しないで受け止めるようにしている。食べちゃダメなものなんて、本当はどこにもない。
「これは太るから」「これは悪いものだから」と決めつけることが、心を閉じてしまうんだ。大事なのは、バランスとタイミング。そして、何よりも自分の気持ちを大切にすること。体の栄養も大切だけれど、心の栄養が大切なときもある。
少し前、久しぶりにケーキ屋さんでショートケーキを買った。昔は大好きだったケーキ。だけど、ここ数年は、見て通り過ぎるだけだった。その日はなんとなく、食べたいなと思えた。家に帰って、珈琲を淹れて、静かな部屋でひと口ずつ味わう。おいしかった。心の底から、そう思った。その後、罪悪感が無かった訳ではないけれど、これでいいんだって、静かに思えた。それだけで、その日一日がとても満ち足りたものに感じた。
食べることは、生きること。それは、単に栄養を摂るという意味だけではない。誰かと笑いながら食べる時間。自分の気持ちに素直になる瞬間。心も身体も、同じように満たされること。
これからも私は、自分を縛ってしまう日がきっとあると思う。食べちゃいけない、我慢しなきゃと、昔の癖が顔を出す日もある。でも、そんな自分を責めずに、少しずつ優しく受け入れていきたい。
数字だけでは私を測れない。体重を掲げて外を歩く訳でもない。だから、程よく運動しながら、好きなものも食べて。食べることを通して、自分の心と身体に耳を傾けていく。周りに囚われずに、生きていきたい。体型に囚われず、外見だけに囚われず、それよりも内面を磨けるような。そんな歳の重ね方をしたい。
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