政治に関して攻撃的な人たちが怖い。だから私は選挙と距離を置く

選挙へ行こう、私はこの言葉に底知れぬ恐怖心を抱いている。
私たち日本国民は、18歳になると皆の代表を選ぶ「権利」として選挙権が与えられている。先人の努力の元、1890年にこの制度は始まり、1946年に女性の参入が認められるようになった等の歴史は義務教育の過程で、私たち国民に広く知れ渡っていることだろうと思う。
私たちの意見は選挙を通じて、ありとあらゆる場面で反映されるため、非常に重要であることは重々承知しているし、特に私の場合は、幼少期から口酸っぱく「戦時中に反戦活動の罪で数年投獄され酷い拷問を受けた人もいた。戦争を起こさないためにも選挙には行け!」と言われてきた方だと思う。
でも正直言うと、私は選挙の話題に極力触れたくないし、できれば投票所にもあまり行きたくないとさえ思っている。
私がこう感じるようになった大きな原因には「選挙や政治に関して極端に攻撃的な人の存在」が関係している。
とある出勤日、上司の机の上に機関紙が置かれており、私が不思議に思っていたところ、別の上司から「彼は、〇党を応援していて、それ以外の政党の話をすると仕事へのアタリがきつくなるから気を付けた方が良いよ」と教えてもらったことがあった。実際それは本当で、上司は自身の政党以外を支持する者に対しては極端なまでに冷たく、仕事が円滑にできる雰囲気ではなかった。
また、選挙に必ず行くという20代の友人は「選挙に行くことは私たちの義務なので、行かない奴は全員死ねば良い」と言い、30代の先輩は「選挙に行かない人は非国民だから許さない」と怒り狂って暴言を吐いていた(ちなみに私はどの機会においても、自身がたまにしか選挙に行かない事実を明かしたことはない)。
SNSにおいては、選挙が近づいてくると反響の高い政治的な投稿を目にする機会が増えるが、そこには明らかに政治的批判の限度を超えた人格否定のコメントとそれを擁護するかのようないいねが並んでいたりする。
こうした経験を積み重ねていく過程で私は段々と、人格否定が当然のように許される政治や選挙への話題には触れたくないと強く思うようになった。恐怖心から他者と政治について話すことがなくなった結果、わたしと選挙の存在はますます遠くなり、投票所に行くことを心底めんどうくさいと思っている自分がいる。
選挙権を与えられた当時は積極的に情報を取りにいっていたけれど、今では自分の人格が過度に攻撃されることを避けるために、口を閉ざし、考えないようにしている自分がいる。これから先も安心して政治の話ができない以上、わたしと選挙の距離が遠ざかることはあれど、近づくことはないだろうと思っている。
最後にあえて批判を恐れずに打ち明けるとすれば、最近の「政治をもっと面白く、エンタメに!」という風潮が好きだ。何事も行き過ぎはよくないが、少なからずエンタメ化によって、政治について家族と話す時間が増えたように感じている。
特に個性が炸裂した東京都知事選では、誰に投票するか考える時間はとても楽しかったし、久しぶりに投票したいと思ったから、投票所へ行った。次の選挙に行くかはまだ決めていないけれど、これが自分なりの政治への向き合い方なんだと今は思っている。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。