わたしが卒業したこと、それは二重への執着。

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「年齢なんてただの数字だ」と心から言えるほど成熟してはおらず、ご多分に漏れず「アラサー」というものを本格的に意識し始めた25歳だが、最近はそれも悪くないと思い始めた。なんだか「一つずつ手放していけている」ような感覚があるのだ。

年齢を意識するとは、行く道を考えることで、行く道を考えるには、今持っているものを見直す必要がある。すると「案外時間がない」とわかったり「これは手放していい」と思えたりするようになってくる。時間が限られているからこそ、考えても仕方がない悩みや過去は、手放さざるをえない。それがかえって私を楽にしてくれるので、歳を重ねるのは悪くないなあと思うようになった。人は、子どもの頃手に入らなかったものに大人になってから執着するという話を聞いたのは、たしか20歳そこらの時。図星で、ちょっと腹が立ったことを覚えている。私がずっと執着してきたのは“二重”、そして“かわいい子としての扱いを受けること”だ。

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弟も妹もぱっちり二重なのに、私だけ重たい一重だった。韓流アイドルの人気や二重が流行り過ぎたこともあってか、今でこそ「一重もかわいい」と言われるようになってきたものの、10年前は、瞼に走るたった1本の線こそが女の子の生命線で、それがなかったゆえに私は自己肯定感をも失くしていた。ブスと言われたり、かわいい友人の引き立て役にされたりすることを、甘んじて受け入れてきた。うつむいたらそれこそ惨めなのであっけらかんとしていたが、きっと普通に辛かったのだと思う。私は、高校卒業後なによりも先に“アイプチ”を始めた。

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アイプチを始めてから、メイクやダイエットにどんどんのめり込んでいった。たった一つでも自信を持てるパーツができると、それを起点に美の追求が楽しくなるのだと知った。「かわいい」と言ってもらうことが増えたのは嬉しかったけれど、何度言われても心は満たされなかった。

「二重になった」と思ってアイプチの定期購入を解約後、しばらくしてまた一重に戻ってしまった。二重線を描いて誤魔化しながら、ここ5年ずっと「いっそ整形するか」と悩んできたが、つい最近“二重に見せること”さえやめた。すっぴんの目を見て、ふと「このままで可愛いかも」と思えたからだ。

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よく考えれば、私は一重が嫌なのではなかった。ブスと言われたことや、それに言い返せない自分が嫌だっただけ。二重のあの子がかわいいと言われて私は言われないから、一重はかわいくないと思い込んでいただけ。気づけてよかった。そしてそれに気づけたのは、ちやほやされても満腹にならないという経験をしたからだ。「かわいくない」とも「かわいい」とも言われてよかった。向き合い切れて、偉かった。そう思えてようやく、自己肯定感が満たされた気がした。

もう、一重・二重に振り回されることはないと思う。それは「一重がかわいい!」というわけでもなくて、二重にしたい時はすればいいし、一重の私もいいねと、その程度のことだ。1本の線によって私の幸福度が決まることなんてない。私が私自身を認められることにこそ、価値がある。心からそう思えるようになったから、もう大丈夫。