新卒1年以内に2社目に突入した私の会社員生活もようやく7ヶ月を迎えたころ、骨折をして休職することになった。足の太い骨の骨折で入院生活も長引きそうだと分かった時には、「1ヶ月以内に復職するか退職するか決めてください」と連絡がきた。もともとギリギリで繋ぐように働いていたところに骨折、そして入院での休職中に復職か退職か迫られて、正直この会社で続けていける自信が無くなっていた。

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入社して3ヶ月目、同期のような存在が完全に消えた。入社当時は9人の会社だった。そこには派遣から正社員になった人、ほぼ同時期に入った中途の人も、歳の近い先輩もいた。

でも、ほぼ同時に入った同期は2ヵ月以内に辞め、歳の近い唯一頼りやすい先輩は産休に入り、派遣上がりの子は適応障害で休職制度のないこの会社を辞めた。産休の先輩は仕方ないとして、入社1年以内の人が立て続けに2人も辞めて、この会社さすがにやばいぞと思った時にはもう手遅れだった。

私は1社目を2週間で辞めていた。だから短期離職が続いてしまうことを懸念していた。同期は目の前で辞めていき、先輩は20も歳が離れていて取締役でもあるので息が詰まる。

3カ月目なんて未熟でペーペーだと分かっていながらも奮闘する日々。だけれど、完璧のように思えるこの道20年の先輩に囲まれて仕事をするのは、自分の駄目な面ばかり見えて、先の道も全然見通せなくて、それはまるで足に重石をつけながら、陸が見えずに泳いでいるような感覚だった。

1日1日がとても長く、暗く、それも一人で歩き続けなければならないことが、どんどん私を暗くさせた。自分の成長は感じるし、先輩たちからのフォローも手厚い。ミスしても「学びになったね!次に生かせば良い!」と前向きな姿勢や助言には救われつつも、私としてはゴールのように思える先輩への道は余りにも遠く、誰にも吐き出せないもやもやした気持ちは溜まる一方で口数はどんどん減っていったと思う。それから次々に任される新規の案件に「もう無理だ…」と疲弊していった。

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仕事をはじめて半年になる頃、眠れずに朝を迎えたり、早く寝ても朝起き上がれなかったり、体調に支障がではじめた。それすら優しい連絡が来て、むしろそれが私を追いつめたように思う。なぜ怒られないのか、責められないのか、それが怖かった。

でも休む連絡を入れると「きっと適応障害だから、無理しないほうがいいと思う。環境がそうさせたと思うけれど、今の若い子たちはかわいそう」と何度も言われた。それはあまりにも軽蔑しすぎなのではとも感じた。それでも私は数回にわたり、なんとか持ちこたえるように復帰していた。

でも、そんなことを言われてしまったから20も歳が離れた人達の価値観が分からない。それに、社会が私の行動をなぜ許すのか分からない。自分の価値観がすべてでないということは分かっていても、あまりにも異なる価値観に、様々なことを疑わざるを得ない。

本当は先輩たちは何をどう思っているのだろう。私はその探りに疲れてしまったのかもしれない。今まではプライベートも隠さず話すことが多かったけれど、だんだんと話すことを減らした。

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「今日こそまた駄目になるかもしれない」と思う日々の中での通勤中の骨折。気持ちはずっと張りつめていたから、骨折した翌日には痛みよりも「やっと休める」という安心感の方がよっぽど大きかった。

それでもはじめは復職するつもりだった。それ以外の選択肢は無いと思っていた。でも会社と距離が開いていくにつれ、またあの環境に戻ることはできない気がしていた。戻ったところでまた不眠、起き上がれない日が来ることは容易に想像ができる。きっと復帰しても数カ月と経たないうちにそうなってしまうだろう。だったら、引き継ぎもされた今、辞めてしまった方がいいんじゃないか。私の心はすでにいっぱいいっぱいで何度も何度もダメになってしまっていたのだから。

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そうして私は会社を辞めた。怖いことに次もまだ決まっていない。でも、今の骨折した足が完治していない状態では働くこともできないし、でも同時に都合の良い言い訳は得てしまったのだから、これを使わない手はない。

この先どうするか分からない。けれど会社に勤めたところで自分のことを包み隠さず過ごすことはできないだろう。小さい会社ならではのコミュニティへの入りにくさも大きかったから、今よりは大きい会社が良い。人が増えるとさらに疑いながらコミュニケーションを取ることになるだろう。人の機嫌や真意を疑いながら仕事をする会社勤め自体、私は見直した方が良いのかもしれない。