先に言ってしまうと私は謝るのが苦手だ。
謝れない人はプライドが高く、自分に自信がない、または恥ずかしがり屋といった傾向があるらしい。自分に自信がないことや、恥ずかしがり屋というのは私の特徴だが、プライドが高いというのはなんとなく違うなと自分の性格と照らし合わせて思う。
しかし、謝らないということに意固地になってしまうところはプライドが高いことにくくられるとも考えられ、そして自分に自信がないけれども、自分を守ろうとするところから来ていると思った。

謝れないことは罪だということは、もちろん理解している。

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私の中で謝れなかった最古の思い出は、3歳くらいの時に集団の習い事で起きたある出来事だ。

1列に並ぶ時に、並ぶ位置とタイミングが私と他の子で被ってぶつかり、その子は泣いてしまった。そこですかさずごめんねと言えば良かったのだが、向こうも同じタイミングでぶつかって来たのになぜ泣いているのだろうと戸惑った。
泣いていない私が一方的に突き飛ばしたように見えるじゃないかと。
私だけが悪いわけじゃないと思うとごめんねの言葉は出てこなかった。

付き添いで来ていたお互いの母親がお互いに謝り、事なきを得たが、相手に怪我をさせてしまったかもしれないという思考が欠けていたため、謝るという行為に対してその必要性に疑問を持ってしまった。

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謝れた経験は自分の中でもモヤモヤが残らないので忘れてしまっているのだと思う。
謝れなかった経験だけがずっと心の中にしこりになって残っている。
それだけでもなんとなく苦しく、苦々しい思い出になっているし、謝れなかったことでずっと自分を責め続けている。
謝らなければいけなかった相手だって謝って欲しかったと思い続けているだろうし、人間関係に影響を及ぼしてるに違いない。

もしあの時謝れていれば違う未来になってたかなと思う出来事もあった。
謝ることには賞味期限があって、本当にすぐ謝らなければ効力を発揮しない。後から謝ったとしてもその場で謝罪をしなかったことで謝らない人という認識になってしまう。ほとぼりが冷めてから謝った場合、形としては謝罪をしたので、謝られた本人は許していても、ことが起きてすぐに謝らなかったことで、全員が謝罪を見ておらず周りが許してくれない可能性がある。
普段どれだけきちんとしていても、一度謝れなかっただけで常識のない人というレッテルを貼られてしまう懸念もある。

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謝れない自分は、自分の弱さや自分の中の後ろめたさだ。それと向き合うのはなかなか苦しいものであったが、今回このエッセイを書いたことで、客観的な視点を養えたと思う。
自分が悪いという時はもちろんのこと、たとえ自分が悪くなくても相手を不快にしないために、謝るということは人間関係の切り札になるはずだ。

謝らないことの弊害を知っているので、謝らないことは人生損してしまっていると言い切れる。
私は謝り過ぎるぐらいでちょうど良いと思うので、自分の中で言い訳をする前に、まずは謝罪の言葉を口に出せるように、気持ちを入れ替えたい。
そして他人に対しては、厳しくならずに水に流すというのを念頭に置きたい。