私は小さい頃から人の許可が無ければ何も出来ませんでした。例えば、冷凍庫の中のアイス1つ食べるのにも、仕事中の母に「アイス食べてもいい?」と聞き、許可を貰えなければ食べることができません。

望まれた行動を取ると、価値のない自分に存在意義が生まれる気がして

その理由は自己肯定感の低さにあると考えています。
幼少期、3つ上の兄からブスだと言われ続け、叔母からも兄妹の中で1番ブスだと言われていました。
確かに私の容姿は醜いです。一重で腫れぼったい目に、多すぎて纏まらない剛毛の髪の毛、眉毛もその他の無駄毛もボーボー。中学生の時はクラスメイトの男子の罰ゲーム嘘コクの対象になったこともあります。

両親ともに厳しい人ではありませんでしたが、このような環境で育ち、自分に極端に自信の無い私は「自分なんかが勝手に何かをしていいわけが無い」という思い込みが取れず、許可が無ければ何も出来ない人間になってしまったのです。

また、「○○はしっかりしてるから」「○○は1人でも大丈夫でしょう?」と呪詛にもなる言葉を、身体に染み込ませられるように両親から言われていたこともあり、ずっと両親の望む行動をとって「いいこ」で生きてきました。
望まれた行動を取ることで、価値のない自分に存在意義が生まれるような気がしていたのです。

人生の選択権とその責任を、いきなり自分で背負っていくことになった

こうして私は指示や許可が無ければ自分で行動ができない、自我の無い無能へと成長してしまいました。
もちろん環境のせいだけではなく、むしろこのように成長したのは自分自身のせいであると分かっています。自分で考えるよりも人の言うことを聞く方がずっと楽です。私は楽をしたくて、判断を決すことで生じる様々な「責任」から今まで逃げてきたのです。

そんな私が今、人生最大の壁にぶつかっています。
それは「就活」です。

中身が空っぽの私は、自己分析すればする程、いかに自分がつまらない人間なのかを思い知らされます。そして大学の受験先さえ指示してきた両親がここにきて「自分の好きなことをしたらいい」と言うようになり、大人になった私の人生の選択権とそれに伴う責任を、いきなり自分で背負っていかなければならなくなりました。
暗くて長い洞窟の中で、突然明かりを消された気分です。私は一体どうしたらいいのでしょうか。

やりたいこともありませんし、見つかる気もしません。
それでも何かしなければと面接を受けに行きますが、当然のように落ちてしまいます。
そして面接で落ちる度に、やはり私の今までの人生に意味なんて無かったんだなと思い知らされます。

兄と妹の部活にお金がかかるから部活には入らないで欲しいと言われたため、小学校以降、部活動はしていません。受験勉強だって死ぬほど頑張ったかと言われたら違います。私はなにかに一生懸命になった記憶が一切無いのです。
「行動力」「積極性」「チームワーク」。就活で求められるこれらを一つも持ち合わせていない私に未来はくるのでしょうか。洞窟の先の景色は見れるのでしょうか。

嘘をつけるほど器用でもなく。勝手に苦しんで泣き、絶望の日々

もし、この文を読んでいる大学4年生以下の子がいたら、趣味でもなんでもいいです、一つ打ち込めるものを作って下さい。一生懸命に何かにチャレンジしてみて下さい。
どうしようもなく辛くなった時、その経験がきっとあなたの助けになるはずです。間違っても私のようになってはいけません。

就活、上手くいかないことしかありません。毎日泣いています。頑張ったエピソードなんて何も無いから面接にすらいけず、書類で落とされることなんてざらです。でも嘘をつけるほど器用でもなく、勝手に苦しんで絶望の日々です。

でも両親には言えません。
だって両親の中では私は「いいこ」なのです。就活なんか難無く乗り越える「いいこ」なんです。だから言えません。
指示がないって、こんなに辛いんですね。自分で考えるってこんなに難しいんですね。
情けない話、自分がどれだけ楽をしていたか、就活を始めてようやく理解出来ました。恥ずかしい。

神様、私はいつか洞窟に自分自身で明かりを灯すことが出来る日が来ますか。
来るといいな。来るように頑張らないとな。