「ごめんなさい」と謝るのは、いつも私ではなくて恋人の方だった。

年下の恋人は、まだ社会経験も浅く、人付き合いの勘所もつかめていないことが多かった。私よりもいくつか若く、その分だけ、私が「普通」に感じることでも、恋人にとっては失敗だったり、配慮が足りなかったりすることがあった。でも、私は理不尽に怒ったことなんて、一度もないと思っている。そう言い切るのは少し傲慢かもしれないけれど、自分ではそう信じている。たしかに少し怒りっぽいという自覚はあるけれど、それも理由がある時だけだ。怒るには、それなりの原因があると私は思っている。

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私は、生理が重い。

生理前になると、情緒が不安定になり、普段なら流せるような些細なことでも胸の奥がチクリと痛む。頭がぼんやりして、すぐ眠くなる。仕事中も目を開けているのがやっとで、脳に霧がかかったようになる。婦人科に行ったところ、PMDD——月経前不快気分障害と診断された。いわゆるPMS(月経前症候群)よりも症状が重いらしい。

本来ならピルなどで症状を和らげる方法もあるけれど、私は別の治療のために薬を服用していて、それとの飲み合わせが悪い。婦人科の薬もほとんど合わず、私にできるのは耐えることだけだった。
つまり私は、自分の体の周期に、完全に支配されている。理屈ではわかっていても、それを受け入れるのは簡単ではなかった。

ある日のデートが、生理とばっちり重なった。
朝からお腹が重く、鈍い痛みがじわじわと広がっていた。加えてどうしようもない眠気。少しだけ……ほんの10分、目を閉じるだけ。そう思ってベッドに横になった。
目を覚ましたときには、すでに待ち合わせの時間になっていた。焦りで一気に目が覚めた。スマホの画面には、恋人からのメッセージが何件も届いていた。「もう着いたよ」「大丈夫?」「まだかな?」——そのどれもが、責めるような口調ではなかったけれど、それが逆に心に刺さった。


私は大急ぎで準備をして、恋人にPayPayで2000円を送金した。「カフェかどこかで時間を潰してて」と添えて、LINEでも必死に謝った。この時、私は初めて、恋人に心から「ごめんね」と伝えたのかもしれない。

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指定されたファミレスに向かって走った。身体は重く、心臓はばくばくと音を立てていた。到着すると、恋人は怒るでもなく、呆れるでもなく、心配そうな顔をして私を見た。
 「大丈夫?」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものがぷつんと切れた。

私は泣き出してしまった。
生理中で情緒が不安定だったのもある。でも、それだけじゃなかった。怒られなかったことに、救われた。許されたことに、胸がいっぱいになった。
 「なんでこんな思いを、毎月しなきゃいけないの……」
そんな気持ちもあった。自分の体なのに、自分でコントロールできない不自由さが悔しくて、そんな私を見せてしまった不甲斐なさに、涙が溢れた。
「ごめんね、遅れてごめんね……」と何度も繰り返す私を、恋人は「なんで泣くの〜」と少し照れたように笑いながら、そっと肩を抱いてくれた。

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でも、私はこの日を境に、少しだけ考えが変わった。
今までは、「謝るのは私じゃない」とどこかで思っていた。私が怒るのは当然で、相手が謝るのも当然。私は正しい側だと、信じて疑っていなかった。
でも、この日、自分が本当に悪くて謝ったとき、初めて「許されること」のありがたさを、身をもって知った。
許されるには、相手の優しさが必要で。
優しくするには、相手の痛みを理解しようとする心が必要で。
私は恋人のそういう優しさに、救われてきたのだと、ようやく気づいた。

この恋が、いつか終わる日が来たとしても。
 
私はきっと、あの日、涙を流しながら許されたことを、ずっと忘れない。