新生活が始まった。だがそれはひどく自然なもので、言葉では「新生活」なんて呼んでいるが正直自覚はなかった。言葉が先行しているようなものだった。

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私の人生で、新生活は定期的に訪れた。それは学校という組織への卒業そして入学という新たな環境へ踏み出し友人や周囲の環境の変化だ。しかし、今回はその範疇にとどまらない。

私は「一人暮らし」を開始したのだ

職場まで実家から通えないことは決してない。事実、実家から通っている同期も多い。上司から実家の場所を聞かれ「慣れるまでは実家かな」と、当然のことのように言われたのだが、否私は一人暮らしをしている。

その選択の背景には他でもない母こと私の家での絶対的権力者の存在があった。権力者曰く「一人暮らしをしないとダメ人間になる」。敵が増えてしまいそうな過激な発言であるが怒らないでほしい。この発言の裏には、一人暮らしをせずに結婚し、家事能力が0の状態の父の存在がある。ここで一言断っておきたいのだが、実家暮らしなど他者との生活しか経験しない人全員がそうではない。中には率先して家事を行っている者が多いだろう。しかし、私の父は典型的な甘やかされ息子であり、母が先刻の発言を力強く私に伝えるのもうなずけるという訳だ。

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そんなこんなで私は、社会人になると同時に半強制的に家からでることになった。周囲に「それは悲しいね」と言われたが、私は嬉しかった。実家が嫌という訳ではない。単純に新生活、一人、自由という響きにひどく憧れていたからだ。

ただ、1つ懸念するとすれば「孤独感」である。私は怯えていた。今はまだ平気だが1人になった瞬間にどわっと寂しさが襲ってきてどうしようもなくなってしまうのではないかと。

私の記憶の奥底には、小学生の頃の合宿の思い出があった。それは塾の合宿で親と5日間も離れ、勉強漬けになるという大人になった今考えても残酷な制度であるが、その際にとてつもないホームシックに駆られ勉強どころの騒ぎではなくなったらだ。

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しかし、私のその底知れぬ不安は拍子抜けするほど顕在化しなかった。数日過ごして「あれ?平気だな」と感じてしまった。「なんだ、やるじゃん」と自分自身に呼びかける自分と「私もついに大人になってしまったのか」と4年間のモラトリアムの正式な終焉を感じたりなんだり、過ごしながら研修期間を過ごしていた。

ただ、そんな安心をあざ笑うかのように、より質の悪いものが迫ってきていた。
あれ?と気がついた時には遅かった。私はテレビを観ながらあろうことか泣いていた。自分でも訳が分からなかった。なぜだ?問いかけるがそれらしい理由が見当たらなかった。私が乗り越えた「はず」の寂しさは影を潜め、ゆっくり、じっくり、じんわり私の中を侵食していたらしい。私自身が気がつく隙も与えずに。ああ、これは質が悪いなと思った。小学生の時みたいに泣き叫んで、全身で寂しい・悲しい・辛いと溢れんばかりの表現ができなくなっていた。

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一人暮らしを開始してはや2ヶ月と半月。未だに私はこの類の感情の対処法が見つけられていない。対処法なんてないのかもしれない。だからこそこうして吐き出して少しでも軽くなるように、巡りがゆっくりとなるように願うしかないのだ。