少し前まで私はこの単語に猛烈な劣等感を抱いていた。
何か理由があるわけではないが、地方出身で世間体を気にして育った私としては都会や自立への憧れがやはり大きかったと思う。

しかしそう思っていたのは大学生だった3年ほど前までの話で、25歳になった現在は全く違う考え方を持っている。

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都会でも田舎でもない地域で、裕福でも貧乏でもない家庭で育った私は、地元の大学へ進学した。両親には何不自由なく育ててもらったが、自分の部屋もなく、古い造りで雨漏りの絶えない我が家は幼い頃からずっとコンプレックスだった。恥ずかしさから友達を家に呼ぶことが出来ず、場所も知られないように、友人に車で送ってもらう時は少し手前で降ろしてもらっていた。傘を忘れて何度も濡れて帰ったこともある。

そんな経験から、憧れの「一人暮らし」の為に県外の大学を受験するも、失敗に終わった。
そして、私のもう一つのコンプレックスは家族そのものだった。家族構成は両親と兄だ。父親は亭主関白で、あまり業務連絡以外の会話をした記憶がなかった。母親とは友達のように仲が良く、私が大学受験を失敗した時に家にいるという選択肢があったのは、母親が作ってくれていた居場所があったからだと思う。しかし、大学3年生の冬、母親が突然目の前で倒れそのまま帰らぬ人となってしまった。

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当時の私は年齢こそ成人していたけれど、まだ子供で、悲しいさみしいと嘆いてもどうにもならないという初めての現実にぶつかった。もちろん家族や友達は助けてくれたが、誰も守ってはくれなかった。その後、母親がいない「実家暮らし」がスタートしたが、これまで家のことは全て任せっきりだったため、私も父親もゴミの回収日も分からず、毎日必死になりながらなんとか生きていた。今まで母親が守ってくれていた家族という形とは全く違うものになっていた。

時は流れ、いつしか料理や洗濯などは人並みにできるようになっていた。しかし、当時私は大学生で就活真っただ中。周りの友達は皆「実家暮らし」。就活も終わり、オールでの飲み会も増えていった。みんなとの時間は楽しかったが、家事やバイトで精いっぱいになり、なかなか就職先も決まらず、飲み会の前に家族のごはんを用意している現実が辛く何度も泣いていた。

そして家に帰ると、スーパーのお惣菜のごみが捨ててあり、トイレの生理用品のごみ箱がなくなっていた。悲しくもなくなっていた。そこから私は、家族という名のシェアハウスの住民なんだと思うようにした。

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そんな時「実家暮らしは甘えている」というワードがSNSで議論されていた。

甘えている?なんとでもいってくれ、私はここまで必死に生きてきた自分を甘えているとは思わない。ご飯だって作る時は一人分ではなく家族分だ。自分のものではないから彩りだって健康だって気にする。でも、自分が食べるときにはもう食べかけだ。洗濯だって、男物に見慣れるようになっていた。

でもそんな中で、どれだけ嫌な思いをしても家族のために健康なご飯を食べてほしいと思う自分がいる事にも気づくことが出来た。これは世間体などではない、私自身の意思で健康に長生きして欲しいと思ってご飯を作っていたのだ。そんな生活をしていくうちに、コンプレックスに思っていた家族のことを理解し、次第に受け入れることが出来た感覚があったのだ。

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そこで思うは、誰かの甘えや自立なんてものは暮らし方で測れるほど単純なのだろうか、ということ

25歳実家暮らし、おまけに転職活動中という今の状況を、3年前の私なら恥ずかしいと強く思っていたことだろう。
しかし今の私は、実家暮らしだからこそ経験できた出来事のおかげでとても強くなったと思う。そしてそんな自分を誇らしく思えている。これからも暮らし方などの要素に囚われず、自分自身を豊かにしていきたいと思う。