マレーシアのクアラルンプールで、一人暮らしをしている。

二十九歳の既婚者が、人生で初めての一人暮らしをこんな場所でしている。

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実家を出たあとはすぐに同棲を始めて、家事も生活のことも、人並みにやってきたと思う。自分のことは自分でできる。だから「一人で暮らすこと」へのハードルは、それほど高くないと思っていた。

けれど、それは“暮らすことそのもの”に対してのハードルが低かっただけで、“常に人でいる”というところまで考えていたわけではなかった。私の中で「一人暮らし」に対するイメージは、わりと長い間ずっと中立的なものだったように思う。
一人の時間は大好きだったけど、わざわざ一人で家賃を払ってまで、一人で暮らしたいとはあまり思わなかった。

そんな私が、結婚してから「一人でマレーシアに留学する」という選択を自分でして、今、異国の街に一人で暮らしている。不安もあったけど、どこかで「私は一人行動が得意だから大丈夫」という思い込みもあった。海外旅行でも別行動の時間を設けるし、一人でご飯を食べるのも街を歩くのも全然苦じゃない。

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だけど、一人で暮らすというのは、それとはまったく違った。

一人で出かけることと一人で暮らすことには大きな隔たりがあるということを、ここでの日々のなかで知った。
外でどれだけ賑やかな時間を過ごしても、帰る家に誰もいないというのは思ったよりも静かでとても寂しい。孤独だ。

今日あったことを「こんなことあってさ」と言える相手がいること、嫌なことがあった時に「どう思う?」とすぐに相談できること、帰宅してただ「おかえり」と言ってくれる誰かがいること、それがどれほど心の支えになっていたのか、今はよくわかる。

私は人の時間が好きだと思っていたけど、それは“誰かがいる安心感”の上での人だったんだ。
ベースに誰かの気配があって、だからこそ安心して一人を楽しめていた。
この事実に気づいたとき、自分が思っていた以上に寂しがり屋だったんだなと少し驚いた。

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きっと根っから一人が好きな人もいるし、そういう人は一人暮らしが性に合っているんだと思う。それはとてもいいことだと思うのだ。
でも私は違った。
この留学を通して、「私はきっともう、よほどのことがない限り自分から一人暮らしを選ぶことはないな」と思うようになった。

今までは「一人暮らしって良いよ」と言われたら「そりゃあ自由なんだから楽しいに決まってるじゃん!」と思っていたし、逆に「実家暮らしで十分じゃない?」という意見にも「わかる〜」とすんなり同意できていた。中立だった。けれど今は、自分の中で一つの答えが出ている。

一人暮らしは、私には寂しい。
誰かと一緒にいる生活が、私はやっぱり好きだ。

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もちろん、この留学が嫌なわけじゃない。
ここで一人で暮らしてみたからこそ、自分の輪郭がはっきりした気がする。
そして「誰かと一緒に暮らす幸せ」が、自分にとってどれだけ大切だったかということも。

この経験は私の人生の中で確かな大きな財産になると思う。一人でいる時間の意味が変わった。
それを知れた今、帰国後の生活をまた一つ違った目で愛せる気がしている。