私が初めて投票所に行ったのは、小学校に上がる前だった。
とある日曜の夕方に母が「そろそろ空いてるんじゃないか」と父に声をかけ、小さかった弟を抱っこ紐で抱えていた。

私は父と手をつなぎ、近くの公民館まで歩いた。公民館で遊ぶには時間が遅いし、一体何をしに行くのか、私にはわからなかった。「きっと選挙だよ」兄がぼそっと私に教えてくれた。私はピンとこなかった。

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公民館に着くと、いつも遊びに来ている部屋じゃないところに入った。銀色の箱が真ん中にあって、離れたところに1つずつ区切られたテーブル。とても静かな空間でおじいさんやおばあさんが席に座って待っていた。

「ちょっと待っててね」そういって父は私の手を離し、紙を受け取ると一つのテーブルに向かって行った。私も父のテーブルについていったけど、テーブルは私の身長よりも高くて、父が紙に何かを書いていることしかわからなかった。

母の方を眺めると、弟をあやしながら、真剣な顔で何かを書いている。

カリカリという鉛筆の音や挨拶の声だけが聞こえて、なんとなく、しっかりした態度であることを求められている気がして、父や母が書き終えるのを待っていた。

父は紙を2つに折ると、真ん中の箱に向かって歩き出した。後を追っていくと、父が紙を箱の中に入れた。中身が気になって、箱を覗こうとすると、「中は見られないの」と父に手を引かれて部屋を出た。

公民館を出てから「ねえ何を書いたの?」「何て書いたの?」と両親に聞いても答えてくれなかった。怒られはしなかったけど、「言わないよ」とか「内緒なんだ」とかそんなことを言われた覚えがある。

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家に着いてから、「今行ってきたのは選挙だよ」と母から教えてもらった。「せんきょ」と聞いてもわからなかったから、「せんきょってなに?」「何を書いてたの?」と疑問をぶつけた。
「たとえばね、なおちゃんの幼稚園で誰がリーダーになるか決めるの。幼稚園のみんながそれぞれリーダーになってほしい人の名前を書いて一番多く名前が書かれた人が、リーダーをやるんだよ」
そう言われて幼い私は言葉をそのまま飲み込んで、「幼稚園のリーダーを決めていたのか」と思い込み、納得していた。

それからも、毎回選挙のたびに家族全員で投票所に行った。
何回か行くうち、決めているのは幼稚園のリーダーではなく、市のリーダーや、国のリーダーであることがわかった。そして私に選挙権がまだないことも。

中学生になって公民の授業を本格的に学ぶようになり、選挙権はもとからある権利ではなく、先人たちが戦って獲得した権利であることや、日本の投票率がとても低いことを知った。

私にとって選挙は毎回行くものだったため、母や兄に「投票率が低いのはなんで?」と聞いたことがある。
学校では「選挙に行きましょう」って習うし、選挙で選ばれた人の公約で国や市町村が住みやすくも住みにくくもなるのに、そんな大事な選挙になぜ行かないのか。

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「興味が無い人もいるんだよ」「選挙には行かないって決めている人もいるんだよ」という母は、割り切っているようだった。兄は「選挙に行く権利を持っているだけで、理論上行かなきゃいけない義務とは違うんだよ」といった。

義務ではない。でも私のような女性に権利が与えられたのは歴史的に見たら最近だ。
母が私たちが小さいころから投票所に連れて行ったのは、選挙には行くべきだ、自分の意見を表明する場面だ、という一面を見せたかったのだという。

正直自分が28になっても選挙に行かない人の気持ちはわからない。
私は20歳になってから一回も選挙に行かなかったことはない。もちろん、住民票の住所に暮らしていなかった大学時代には市役所で面倒な手続きもしたし、投票日に予定のある日は期日前投票を利用したこともある。

年齢を重ねていくにつれて、中学生のときに母や兄が言っていたことがわかるようになった。宗教と選挙の問題、公教育による主権者教育の難しさ、など。「たかが1票」という人の多さには辟易するが、選挙前の報道のあり方や投票所に赴く面倒さがわからないわけではない。

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それでも私が選挙に行くのは、私の投じた1票で世の中が変わるかもしれないからだ。現状が変わるのを待つのではなく、私は現状を変える側でありたい。

私にも子どもができたら、投票所に連れていきたいと思う。子連れでも投票所が歓迎してくれる世の中を作れるように私は生活していきたいのだ。