高い目標に手を伸ばすのはいつだって、ストレスがかかる。私は、今のままこのままで十分満足しているのに、先生や上司をはじめとした社会って場所は目標を決めて、努力して成長することを要求する。努力したら夢が叶うなんて嘘だ。成長してそう気づいた私は、やりたい努力にしか力を使いたくない。努力してまでやりたくないお仕事で成長なんてしたくないのだ。お仕事で昇格しても業務時間と責任が増えるだけで給与は増えない。

そんな風に思っている私にとって、成長を要求する上司も社会も敵だった。でも、後輩と一緒にお仕事してみて、私は私の成長に気づけた。

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きっかけは、新卒の新人の教育指導を任されたことだった。当時はさらに自分のスキルや知識に自信のなかった私は、当然渋ったし、最後までもう少し年次の高い先輩を推していた。自分のお仕事だけでも精一杯だし、必要以上にお仕事で悩み事を抱えたくない私にとって、新人の教育担当なんて、余計なお仕事以外の何物でもなかった。

でも、社員が数人ごとのチームでクライアントとなるお客様先へ出向きその場で、クライアントの社員と一緒にお仕事を行う形態で業務をするシステムエンジニアでは、年次やスキルのちょうどいい人であっても別の場所でお仕事をする人では、教育担当にはなれない。年次と新人を必要とする場所、新人でもお仕事できそうな場所でお仕事をする社員、この条件に一致する人となるとかなり限られるのは事実で、私に教育担当のお話があった年も、私がお仕事をする場所ではちょうどいい先輩がいなかった。

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そんな状況で嫌々、始まった教育担当で最初の1カ月くらいは本当に大変だった。私としては、当たり前のルールであったり、常識と思っていてるような細かいことでもお仕事としての責任感からなのか、逐一質問がありその1つ1つに答えることに時間がとられたことで、自分のお仕事もいっぱいいっぱいだった。

自分のお仕事でしっかり調べたいことや準備していことが終わる前に期限となってしまい、仕方なくぎりぎりの出来のまま、資料提出や説明に対応したこともあった。時間がなかったせいで大きな失敗となったことはなかったけれども、準備が整っていない状況で臨むことは初めての経験で、不安といら立ちがあった。

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今振り返ると、この教育担当の経験は私にとって、お仕事で初めて、自分の意識でコントロールできないことと向き合った経験だった。入社してからの数年は、自分の担当する内容を事前に調べて、何をどうすればよいのかの目星をつけてから、その作業にどのくらい時間がかかるのか見当をつけてから期限を決めて取り掛かっていた。

そのため、予定外なんてことはなかったし、対応できるペースでお仕事できていたのだ。新人の教育担当は、確かに大変だった。新人の人の状況に目を配るのも質問に答えるのもこれでいいのかという不安が付きまとっていたし、準備不足で失敗することも怖かった。でも、私はこの経験を通して、お仕事はみんなで作っていくものだと気づくことができた。

新人への回答やクライアントへの説明の中で、足りない部分は先輩が補ってくれたし、私の乗務時間に目を配ってくれる上司もいた。それまで、自分だけでちゃんとやらないといけないと思い込んでいた私に、もっと力を抜いても大丈夫なのだと教えてくれたと思う。