どうせ諦めたって、何かで悩むのだ。だから私はもがき続ける

割り切れないだけ。このままでも十分幸せ。
ほどほどに働いて、ほどほどに責任を誰かに任せて、ほどほどに遊んで、ほどほどに結婚して、子供を産んで。ほどほどに働きながら育てて。今も実家で家族に囲まれてるし、私は十分幸せなのに。
同じように生きていても幸せな人いっぱいいるのに。
なぜかそうは思わない。思えない。
もっと頑張れるはずなのに、もっとやりたいのに、もっと、もっと……と思ってしまう。
なんでこんなに出来ないんだろうと思ってしまう。
でも当然だ。
実際は土日は寝てばっかりで、やらなきゃと思えば思うほど何も出来ない日々が2年は続いているのだから。
こんな頑張れない人に対しては皆「そりゃそうだよね」って言うだろう。当然の結果だよね、と言うだろう。
仕事も頑張りたいけど、いつもミスばっかりだし、全然頼れない先輩だし、部下だし……。
頑張りたい、目指すべき理想の自分と今の自分がかけ離れすぎている。
色々考えてお金をかけたりしたけど、やっぱり出来ない。
なんでだろう。
それで誰かの頑張っている話とか、成功した話とかを聞くとすごく悔しくなる。
私はよく人から、いろんな人のサポート役だよねと言われる。
確かに、これまでの生活を振り返っても割と出来る人の隣にいて何かをしてるフリをする役割が多かった。すごく頑張ってる人に思いっきりの褒め言葉を送って、でも、何かを言うたびに私の心はボロボロになっていく。
人生をサポート役で終えていいの?
本当はもっと、もっとアツくなりたいんじゃないの?
これだ!って言う何かを見つけて走りたいんじゃないの?
でも、これだ!と言う何かを見つけるには、生半可な努力では出来ないことだってわかってる。
変わらなきゃ。言葉だけじゃなくて、こうやって書いて考えてる気になってるだけじゃなくて、やらなきゃ。
誰かのことを励まして終わっている場合ではない。まずは自分を鼓舞することから始めなきゃ。
誰かのことは簡単に励ませるのに、次から次に言葉が出てくるのに、なぜ自分自身のことは励ますことができないのだろう。
私にだって、もっと頑張れって声かけて欲しいよ、一緒に伴走しようって言って欲しいよ。
でも、自分の適性も考えた方がいいのかな。人のサポート役になるのが私の人生なのかな。それが向いているのもある意味すごいことなのかな。
もう、諦めるべきなのかな。
でも、そう思うたびに過去の私が顔を覗かせる。
数学ができなくて国立大学を目指すのを諦めて号泣したけど、最後には第一志望に全部合格したことを。
大学の部活が辛すぎて何度も涙を流したけど、最後には人生で一生の仲間を、景色を手に入れたことを。
就職先が決まらなくて号泣したけど、結局は自分にぴったりの会社に入れたことを。
人生の節目で発揮してきたこれまでのプライドが、私を諦めさせてくれないのだ。
こうやってギリギリのところで頑張るから、分不相応なところで自分を苦しめているのかもしれない。
どこに行っても何をしても苦しんでいる。
でも、それでいいのだ。人生なんてそんなもん。
もしかしたら人よりも苦しいと思っちゃう頻度が多いかもしれないけれど、でも一瞬でも喜びがあった。だからここまで続けてきた。
どうせ諦めたって、何かで悩むのだ。
だから人より劣ってても良い。
私はもがき続ける。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。