2020年コロナ禍。世の中がどんよりしていた頃に、私は大学を卒業した。

新卒で入社した先は商社の営業事務職で、3分おきに鳴る電話対応をはじめ、大量の発注書の伝票発行、商品の提案にサンプル手配、見積書の作成まで業務は多岐にわたった。会社では1日に4度チャイムがなり、1回目はその日出荷するトラックが出る合図、2回目はメーカーへの発注品の受注入力締め切り、3回目は翌日発送する荷物の伝票入力締め切り、そしてラストは「これで本当に締め切るぞ」の脅しの音であった。

そのチャイムが近づくたびにバクバクと指先にも振動が走る。「もう間に合わない!」そう焦っているのに電話が鳴る。後ろからは怖いおじさん社員の圧があり、ミスをすると誤って作成した伝票を投げ返される。

そんな緊張感のある状況で働く事務員はみな優秀で、歳を重ねるにつれて落ち着きがあった。ただ一方で、その業務量と正確な処理についていけない社員の立場は弱く、どんどん退職していく状況だった。

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私には同期が1人もおらず、1つ年上の先輩が3人いた。先輩はお姉さんのように優しく、困ったときにはいつも声をかけてくれる人たちだった。

入社して半年が経つと、新入社員はそれぞれ担当を持つ。独り立ちをし、自身の担当する客の対応をすべて行わなければならない。私も例に洩れず、入社半年で独り立ちをした。

必死で喰らいついていたから、「優秀だ」と褒めてもらうことも多く嬉しかった。しかしそれは、その分ミスしてはいけないというプレッシャーにもなった。

私が独り立ちを果たしたころ、まだ独り立ちをできていない先輩がいた。

1つ年上のコウノさんは、一度担当を持ったもののミスが目立ち、担当を外れて事務員のサポート役として働くことになっていた。常に上司の細かなチェックが入り、「また間違っている」と注意される。その度に自信をなくしたような顔になり、「使い物にならない」と言わんばかりのお局の言葉に涙することも多々あった。

そんな状況でもコウノさんは後輩である私にやさしく、一番下っ端がやるべき雑用を進んでこなしてくれていた。そんな彼女への当たりのキツさに憤りを感じていたが、その立場を私はカモフラージュに使ってしまったことがある。

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ある日、処理しなければならない注文書が送信済みのFAX入れに入っていたことがあった。危うく処理もれになるところだった事態に気づいた上司がすごい剣幕で犯人を追及し、真っ先に疑われたのはコウノさんだった。

そのとき私は、「そこに間違えて入れたのは自分かもしれない」という予感がしていた。無意識だったことや、内容が定かではなかったこともあり、「私かもしれません」とどうしても言い出せなかった。

コウノさんも自分がやったことかどうか、記憶が曖昧だったようで否定せず、結局彼女が怒られて終わった。のちに確認すると、それは私のミスだった。

コウノさんは自分がケアレスミスの多い人間だということを必死にカバーしようと、普段から努力していた。ミスをするたびに「またやってる」と言われることを恐れ、常に信頼を取り戻そうとしていた。そのことを知っていたのに、私は「葉山さんはミスをしない」というイメージを守りたくて、怒られるのが怖くて言い出せなかった。

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私は今も彼女に本当のことを打ち明けられていない。しかしその後も、コウノさんは私に優しく接し続けてくれた。その度に自分の汚さ、ずるさを再認識させられるようで苦しかった。自分ってこんなヤツだったんだということを初めて認識し、私は自分の行動が恥ずかしく、家族にも誰にも話せなかった。

それから半年経って、コウノさんは会社を辞めた。「自分の得意を発揮できる場所があるはずだ」と気づいたらしい。転職したという話を聞き、会うととても清々しい顔をしていた。

あの日私がしたことは、彼女の辛い事務員生活においてほんの一部だったかもしれない。でも私はその後悔を、3年経った今も覚えている。「謝ればよかった」「素直に怒られる方が何倍もよかった」と、その後何回もそう思った。
こうして自分の弱さを見つめるたびに、その弱さをきちんと心に刻んでおかなければなと思う。
私の懺悔はこれからもこの感情を時折思い出して、自分を律することにある。
だからこれからも、この気持ちを私は絶対に忘れない。