もやしに青じそドレッシングをかけて食べる食べ方に、一時期ドはまりしたことがある。

その頃は仕事も残業続きで、帰宅してからの時間は、いかに早く寝ることができるかが重要だった。だから、もやしを電子レンジで蒸してドレッシングをかけるだけの簡単さと、素朴な味、程よい満腹感は、当時の私の理にかなっていた。そうして1日3食、もやし生活が定着したのである。

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もやし生活が始まって、1か月経とうとした頃である。
いつも飲んでいる水が苦く感じた。水道水には塩素が混じっているというから、それの影響だと思い、深くは考えなかった。

しかし、明らかにおかしいと思ったのは、いつものようにもやしを食べたときだった。
もやしを口に含んだ途端、舌全体に強烈な苦みを感じた。そして、舌がピリピリとする感覚がずっと続くのだ。

“味覚障害にでもなったかな?”

13食もやしばかりだったけれど、もやしにはミネラルが多く含まれているから、味覚障害になることもないはずだ。むしろ、もやし以外何も食べていなかったのが問題だった。血液検査とかはしなかったから、詳しい原因は分からない。けれど当然、栄養の偏りはあっただろう。

とにかく何を食べても美味しくない状況になって、私はいつのまにか食事への楽しみを失っていたことに気づいたのである。

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この出来事をきっかけに、忙しい生活ではあったものの、一汁三菜を意識した食生活に切り替えた。
決して豪華でなくてもいいから、その日の特売品で作れそうなものを作る。ひとつの食材にこだわらず、2つ以上の食材で調理する。余裕があれば、旬のものを取り入れてみる。

そうするうちに、口の中に苦みを感じることはなくなり、食材そのものの味を感じることができるようになった。これまで、食事で栄養を補っているという実感はなかったものの、あの一件以来、自分が食べたものが身体を生かしてくれているのだと気づいた。

また食生活を正していくなかで、料理をすることが好きだった自分や、食べることが好きだった自分を思い出していった。そして、忙しさのなかに“丁寧さ”を意識した生活は、ちゃんと生きているという実感をもたらしてくれた。

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忙しかったり、疲れていたりすると、どうしても食事を削りがちである。
とりあえずお腹に入ればなんでもいい、不味くなければなんでもいいと思ってしまう。
だけど、あの口の中に広がる苦みを経験したあの日から、食事を削ることは、生きる力も削っているということだと私は知った。

日頃から、栄養素を気にして食事を選択することは、難しい。
栄養バランスに気をつけた食選択ができるほど、私にはもともとの知識がない。
けれど、あの一件以来、どの食材にどんな栄養・効果があるのかに関心を持ち、調べるようになった。おかげで、大雑把ではあるけれど、日頃の食事に取り込めるほどの知識は身についた。
今では食生活アドバイザーという資格を取ってみるのも楽しいかも、と思っている。食事について学ぶことは、生きることを学ぶことでもあると思うからだ。

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今日元気な身体でいられるのは、いつかの自分が取り込んだ栄養のおかげだと思うと、自分の身体が愛おしく思える。
栄養バランスというと堅苦しいけれど、まずは食事を楽しむことを忘れないことが大事だと思う。

仕事を頑張りたい、大切な人との時間を楽しみたい、自分の趣味を思い切り楽しみたいとか、生きる動機があるかぎり、その動力となる食事は欠かせない。
そして、今後生きる動機を見失うようなことがあったときこそ、食事に一息いれたいところである。

忙しさにかまけて、食事を犠牲にしたとき、人としての生活は食事を基本にしているのだとようやく気づくのだ。
今日これから食べるものが、数日後、数か月後の自分の生きる糧になっていくのだと考えると、食事を疎かにすることはもうできない。