投票皆勤賞の私。低い投票率のこの国の行く末を案じる

投票権を得てから、投票は皆勤賞である。私の人生の中で数少ない、問答無用で胸を張れることだろう。
私にとって投票するのは当たり前の行為だ。何故当たり前なのかと問われたら、両親が投票日に投票に行く人間だったからだろう。両親に熱狂的に支持する政党があったわけでも、確固たる政治思想があったわけではないと思うのだが、投票はかかさず行っていた。そうした姿を見ているので、投票に行くのは当たり前の行為だった。
投票が皆勤賞であっても、それは当たり前のことであり、なんら誇れるものではない。しかし、蓋を開ければ投票率は低い数字だ。若者に至ってはそもそもの分母が少ないので、投票に行く若者は稀ということになるだろう。そんなわけで私の投票皆勤賞は胸を張れることとなっている。
投票率があまりにも低いので、あの手この手で投票させようという試みは大なり小なり行われている。投票して、その場で申し出ると証明書が貰えるのだが、その証明書のデザインに凝っている自治体もある。地元の自治体はやる気がないのか、これでは貰いたくて投票に来る人はいないだろうなという適当なデザインだ。
そして証明書はただの記念品ではない。お店で見せると割引が使えたりする。いわゆる選挙割だ。私はお得に目がないので、必ず証明書をもらうし、隙あらば選挙割を利用する。別に選挙割なんてなくても投票するのだが、選挙割目的でも良いので投票率が上がると良いなと思っている。
私は毎度、証明書を貰い、裏面にその時投票した人を書いている。証明書を見ると初回は何も分からず適当に投票したし、頑張って考えて投票したのに当選後に名前を聞いたと思ったら不倫報道だったことを思い出す。証明書は律儀に取っておいたのだが、少し前に断捨離の一環で全捨てしてしまった。取ってる意味なくない?という気持ちと、捨てるんじゃなかったという後悔がある。投票した事実は消えないから良しとしよう。今では選挙割に使えなくなってから捨てるようにしている。そうでもしないと物が増えて増えて仕方がない。
昔、女性には投票権がなかった。もっと昔、一般市民には投票権がなかった。投票権は先人たちが勝ち取ってきた権利である。けして私が投票できるのは当たり前ではない。投票出来てありがたいと思う。そんな経緯もあるというのに、なんで皆、投票に行かないのだろう。
しかし、投票したいと思える立候補者がいないのも問題だ。奇特な人は滅多にいないから奇特な人であって、そうほいほいいるもんじゃない、というのが私の持論なのだが、政治家に関しても当てはまるだろう。こんなろくでもない世の中で、政治家になろうなんて思う人は、よほど立派な人か、よほどヤバい奴のどっちか、そんな感じがする。選択肢などあってないようなものだ。いつもうんこ味のカレーか、カレー味のうんこか、みたいな究極の選択である。普通のカレーでいいのに、普通のカレーがなかなかない。カレーと信じて投票しても、当選後、何をしているかは分からず、不倫だけはしっかりやるようなカレー味のうんこだったりなんてことは、けして珍しいことではない。だが、少子高齢化に伴い政治家のなり手不足の時代はそう遠くなく、もう地域によっては区議、町議などのなり手がいないというニュースを見聞きする。まだ選べるだけマシなのかもしれない。
私は投票率が低すぎて、じゃあいらないよね、と投票権を取り上げられてしまうのではないか危惧している。それで考えると、なり手不足の果ては、じゃあ民主主義いらないよね、になるのだろうか。この低い投票率の国の行く末はどうなるのだろう。私が老いて死ぬのが先か、国として体を成さなくなるのが先か、この国が滅びぬよう、私は投票するのである。
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