週末に八ヶ岳にいってきた。
4月、なんとなく体も心もぼんやりと調子が悪い私を見兼ねて父が車で連れて行ってくれた。

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八ヶ岳は父が二拠点生活をはじめた関係で時々訪れるようになった。それまではあまり馴染みのない場所で気が付かなかったが、センスの良いレストランやアートギャラリーなどがぽつぽつと点在していて、中々にお気に入りの地域だ。旅行は好きだが同じところに何度も行く事は殆どない自分にとって、お気に入りの場所ができたのは少し嬉しい。

自然が豊かで空気がとても澄んでいて、なにより静かなところが良い。夜は殊更しんとしていて、驚くほどよく眠れる。布団に入り目を閉じると、とろりとした液体の中に沈んでいるようだ。普段住んでいる東京の家は、昼夜を問わずひっきりなしに電車の走る音がよく聞こえる。うるさくて眠れないと思う事はないが、八ヶ岳の静寂と比べると実は普段しっかりと眠れていないんじゃないかと思うほどだ。

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よく行くレストランやギャラリーにいったり、軽いハイキングなどをしたりして過ごす。これらは比較的お決まりのプランだが、今回は初めての試みとして、時期も丁度良かったので山菜を買って帰る事にした。

形や色もさまざまな山菜が並ぶ棚をみて吟味する。
山菜はなんとなくその無骨な形から普通の野菜よりワイルドな自然のエネルギーが詰まっているような感じがする。その力にあやかって、も少し元気を出せるかもしれない。
私は山菜が好きな方だと思う。28年間山菜そばを積極的に食べて大きくなった。
山菜以外にも、菜の花とか春のほろ苦さを感じる食べ物は大人になればなるほどありがたいものになっていた。

でも、そういえば親元を離れた後自分の家で山菜を食べたことはなかったように思う。
山菜と私の、近いようで遠い距離感。

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山菜そばの主役(だと個人的に思っている)である蕨をまず買おうとしたが、灰汁抜きが大変に手間がかかりそうだった。

そこで見つけてきたのがこごみだった。細くて繊細な蕨みたいなやつだった。
翌日お昼ご飯に八ヶ岳で買って帰ってきたこごみを食べる。蕨や山うどに比べて灰汁が少ないので、一生懸命に慣れない灰汁抜きをしなくても1.2分ささっと茹でるだけで食べられるのがとても素敵。シンプルに鰹節をふわっとのせて醤油を少し垂らしていただく。

良くも悪くも味に関してはあまり癖がない。つい春の野菜や野草・山菜に期待してしまうほろ苦さや深みのあるハーヴィな香りはあまりなかった。少しの草っぽさがあるもののえぐみもなくスルッと食べられる。

対してつい気になってしまう個性はきっとフォルムと食感にある。
シダっぽい葉をつけた茎は先端に近づくにつれてくるくると縮んでいる。葉の野生っぽさと細密で美しいフォルム、茎の先端のくるくるした部分は可愛らしさと少しの弱さ、或いは情けなさみたいなものすら感じられるようで、その対比が印象的。

味には癖がないものの、この葉のふさふさした感じが野草っぽさを出していると思う。いつもスーパーで買っている野菜とは全く違う食感のため、個人的には少し食べにくさも感じる。ただ少し食べにくいからこそ、わざわざ大切に食べたくなるような面白みになっていると思う。

くるくると縮こまっている部分のフォルムはやはりいじらしい感じがして、目が離せない。この部分は、ベッドでのしかかってくる憂鬱と揉み合い、二束三文の意味に涙を流しながら時間を浪費している自分に、少しの親近感を覚えさせるような感じがする。

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こごみの姿は総じてかわいらしい。人に例えるならばかわいいけどお洒落で少し尖った装いで、でも性格はほわっと優しいという、そんな人のような野草。人当たりが良くて愛嬌があるけど家ではほんの少し憂鬱になってソファーに沈んで気づいたら1日が終わっちゃうこともあるみたいなそんな野草。
なのかな〜って思った。

それって私がとても好きで、勝手に慕っているお姉さんみたいだ。
あれ、ちょっと自分みたいでもあるかも?
うるせえわ。
曇っててやる気のない月曜日。だけどこごみに想いを馳せてたら少しだけ気分が良くなった気がしないでもない。