「私だって実は辛い思いをしている」

きっかけは彼女の一言だったと思う。彼女とは高校時代同じ部活に所属していた。部活動の運営は完全に生徒に任されており、とにかく自分たちで決めなければならないことが多い。大人数が集まる話し合いの場で発言するということは、私にとってかなり難易度が高かった。そんなときにいつも真っ先に声を上げ、話し合いを推し進めてくれていたのが彼女だった。いつでも自然と皆を引っ張るリーダーになる。そんな彼女は、長く私の憧れだった。

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それは、そんな彼女が何かの折に零したひとことだった。いつも当然のように私たち同期の先頭を歩いていたように見えた彼女は、実は痛みを感じていたのだ。「こういうのはどうかな?」「これはどうする?」大人数の中で発言すれば、批判されることもある。誰からも返答が得られないこともある。大人数であることに甘えた集団の無責任さ。それでも誰かが言葉を発して、話し合いを進めなければならない。彼女は痛みを堪えて、発言し続けてくれていたのだ。 

私は自分の怠惰を恥じた。身を削る思いで発せられていた彼女の言葉に、安穏とぶらさがっていただけの私。

高校を卒業して大学生になってからは、彼女のように鮮やかなリーダーシップは発揮できなくても、せめて彼女のような人の助けに少しでもなりたいと思い、率先して発言するようにしていた。例えば授業のグループワークで、ひと言目を自分から発してみる。誰かの発言にはまず肯定的な反応を返す。ちょうどリモート授業が広がった時期で相手の顔も見えないこともあったが、そんなささやかな頑張りによって私は少しの自信を得ることができた。

ある日そんな私に大仕事が回ってきた。大学で所属していたサークルの副部長だ。
当時のサークルは深刻な人不足だった。そのため、いかにも人を引っ張ることに不慣れそうな私にも、お鉢が回ってきたのだ。

慣れないながら、私は必死に副部長の役目をこなした。部員全体への連絡から話し合いの進行、トラブルへの対処、外部との連携。最も辛かったのは、喧嘩の仲裁。幸い温かい部員に恵まれ、各方面から助けられながら1年間の役目を終えることができた。

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人手不足でなければ、経験することのなかったであろうこの1年間。私は「享受する側」ではなく「作る側」にいた。楽しげな部員たちの様子や学園祭での発表を見るにつけて、自分たちが作ったのだという感慨と誇り、愛着をひしひしと感じる。それは高校までの「享受する側」にいた私に見えていた世界とは別物だった。

今でも気を抜くと、私は「享受する側」にいる。きっと「作る側」にいることは、私にとってはほんの少し「背伸び」なのだ。しかし「作る側」として見た景色は素晴らしかった。また背伸びをしてみようと思う。

次の同窓会では憧れだった彼女に、「私、大学で頑張ったんだ」と伝えられるかしら。