1人暮らしがしたい。実家から出ていきたい。初めてそう思ったのは中高生の頃だと思う。
私が12歳のときに両親は離婚をして、そこから2LDKのアパートで母と兄・弟との4人暮らしが始まった。私にとっての実家は今もこのアパートである。

シングルマザーで母の実家も裕福でない我が家は、母が大黒柱となり家事分担が子どもたちに割り振られていた。
朝ごはんは各自で用意、朝練に行く前に洗濯物を干し、部活を早上がりして洗濯物を取り込み、たたむ。夜ご飯の味噌汁を母が帰宅する前に作っておく。弟の宿題も見ておく。
これが中学生の私の生活だった。今でいうヤングケアラーである。

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高校生になると兄と母と3人で弁当作りのローテーションを回した。栄養バランス、見た目までクオリティーを求められることが苦痛だった。
というのも私は家族の中では料理が苦手な方で、「下手」だとか「美味しくない」と言われることもままあったからだ。
洗濯物の取り込みは弟に引き継がれたが、朝出発する前の洗濯物干しは兄弟3人でローテーションした。夜ご飯は20時に食べ始めることを前提に兄と2人で交代しながら調理した。

私は部活を終えて満員電車に乗り、実家の最寄り駅に着くのが19時45分くらいだった。
そのため、朝登校する前に味噌汁と副菜を作り、ご飯も20時に炊けるように炊飯器にセット、駅から自転車で帰ってくるときに主菜をスーパーで調達して、帰宅後すぐに夜ご飯になるようにしていた。

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とにかく目が回りそうな1日が続いていく。忙しいのは私だけではない。分かっていても1日の大半を家事に支配されながら高校生活を続けるのが苦しかった。
部活終わりにスタバに行ける同級生を妬んだ。家に帰ったらご飯が用意されている家庭がうらやましかった。

幸か不幸か、大学受験に失敗した私は、それまで暮らしていた埼玉県を離れ、北海道に進学することになり、19歳で実家を出た。
北海道で1人暮らしをするだけの経済力はなかったから、そこから4人部屋の寮生活が始まった。寮生活はそれまでの人生の中で最も快適だった。
寮食が3食、時間になったら食べられて、自炊が必要なのは長期休暇だけ。洗濯も夜間はできないが、室内の個人スペースに干せるから時間の融通がきく。同じ部屋のメンバーとは必要最低限のコミュニケーションで済む。むしろ同期や先輩と仲良くなる機会に恵まれた。

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大学の長期休みには実家に帰省した。初めての帰省は「また家事漬けの日々に戻るのか」と憂鬱だったけれど、実家にいつもいる存在でなくなった私は、ゲストのような対応を受けた。食後の洗い物をしたら褒められた。高校生までは、家事はやって当たり前のもので褒められたことなんてない。
実家にたまにくる人になれば、実家にいても快適に過ごせることがわかった。

大学卒業後、埼玉で1人暮らしを経験してからは実家と自分の家とを便利に使い分けていた気がする。私はその後、結婚で北海道に戻ることになり、今でも1年にわずかしか実家には滞在しない。

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年齢を重ねて実家に残っているのは今や弟と母のみ。私は自分の家庭を持ったからか、帰省してゲスト対応を受けても、家事のやり方が違ったり生活リズムが違ったりして、実家の安心感とともにどこか寂しさを感じるようになった。

1週間程度の滞在になると、家庭のあらも見えてきて、母や弟と口論になることもあった。

友人との約束や祖母に会うために帰省することも多くなり、母から「実家をホテル扱いするな」と言われたのがきっかけで、帰省しても実家に滞在する期間は3日程度にすることにした。
自分の予定に合わせてあとの日程はホテルをとり、実家とは少し距離をとっている。その方が母たちとも口論にならず、平和的に帰省を楽しめる。

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実家での暮らしから寮生活、1人暮らし、夫との暮らしを経て、私はもう実家暮らしに戻れないなと思う。

多忙で苦痛だった時期を忘れることはできないし、お互い大人になったことで、一緒にいれば母や弟と軽い衝突をしてしまうこともある。離れていた方が電話やチャットで安心してつながりを持てることがわかった。

実家に戻らない選択をしたことで不便や心配もある。しかし、私はもう夫と北海道で暮らすと決めたから、1人暮らしよりも豊かで、実家暮らしよりも落ち着いた住空間を作っていこうと思う。