頼ること・頼られることの大切さ、そして誰かがそばにいてくれる尊さ

育休中、子どもを連れて実家に帰ることが増えた。
母がご飯を作ってくれて、洗濯も、お風呂の用意も、「やるよ」と言って動いてくれる。
私は「ありがとう」と何度も言う。
誰かがいてくれるって、こんなに安心できることだったんだな、としみじみ思う。
そんな今の暮らしを噛みしめながら、ふと、あの頃の自分を思い出す。
大学時代、予定外の一人暮らしをすることになったあの頃を。
本当は大学は実家から通うつもりだった。でも色んな事情で急に家を出ることになって、アパートを借りて、ドタバタの一人暮らしが始まった。
最初の頃は本当にしんどかった。とにかく寂しかった。
一人で食べるご飯は味がしないし、寝る前の静けさが怖くて、テレビをつけっぱなしにして寝ていた。
寂しがりやの私は、夜遅くまで友達の家にいたり、恋人に来てもらったり、外でご飯を食べたりして、なるべく一人の時間を作らないようにしていた。
「家」なのに、部屋に帰るのが億劫になるなんて、不思議だった。
生活は自由そのものだったけれど、その分だらしなさも全開だった。
電気やガスを止められたことも一度や二度じゃない。「払うの忘れてた!」と気づくのは、たいてい止まったあとだった。止まった後の面倒な手続きにも慣れっこになっていた。
ベランダに鳩が巣を作ってしまって、怖くて掃除もできず、そのまま住みつかれたこともある。共存状態で数ヶ月過ごしたあの頃、私の生活能力は絶望的だった。
そんなことがありながらも、ゆっくり成長していった。
洗濯のタイミングをつかみ、炊飯器を予約セットできるようになり、家にいる時間も少しずつ増えていった。
自分で生活を回せるようになって、「一人暮らし、私なりにがんばってるかも」と思える日もあった。
学生時代の荒修行のおかげで、社会人になってからの一人暮らしは、まあまあうまくやれていたと思う。
でも、仕事で疲れて帰って、真っ暗な部屋に一人で入るときのあの感じは、やっぱり少し苦手だった。
誰かの気配がないって、自由ではあるけれど、心細さと紙一重なんだなと実感した。
今は、夫と子どもと、三人で暮らしている。
実家に頼ることもあるけれど、日々の生活はこの家族で回している。
仕事終わりに帰ってきて、「おかえり」と言ってくれる人がいる。子どもの笑い声が響く。
そのあたたかさに、救われてきた。
たまに実家に帰ると、母の優しさに甘えて、また「ありがとう」と何度も言ってしまう。
頼れる人がいるって、やっぱりありがたい。
もちろん、実家には実家の、不自由さもある。
親の生活リズムに合わせなきゃいけなかったり、田舎すぎて自分のペースで動けない場面も多い。
趣味の時間が取りづらくて、気が休まらない日もある。
でも、高齢になった親といつまでも一緒にいられるわけではないと思うと、些細な我慢だ。
一人暮らしを経験して、自分の弱さと向き合った。
実家に戻って、人に頼ることの大切さに気づいた。
そして今、小さな家族と暮らしながら、「誰かがそばにいてくれること」の尊さを、あらためて感じている。
一人暮らしという修業期間は必要だったけれど、「実家暮らしは甘えだ」とも思わない。
むしろ、頼れる相手がいて、実際に頼れることは、本当に素晴らしいことだと思う。
頼るのも、頼られるのも、大事なこと。
それを覚えた今の私のほうが、あの頃よりちょっとだけ“自立”に近い気がする。
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