大声の通話、謎の音読、バカ笑いからの泣き叫び。隣人ガチャの悲劇

私は、大学の時に二年間ほど東京で一人暮らしをしていたのですが、その時にあるトラウマを経験したため、できればもう一人暮らしはしたくないなぁと思うようになってしまいました。
そのトラウマというのは、「隣人トラブル」です。暮らしていく上で多くの人が一度は遭遇した事があるであろうこの問題ですが、私はその中でも割と悪質なケースに当たってしまったのでした。
自分が住んでいたのは様々な大学の学生が住まう学生マンションであり、朝、昼は食事も付いているタイプの所でした。
入居した直後はそこまで広くない部屋ながらも初めての一人暮らしにワクワクしていましたし、学生だけのマンションであるため、もしかしたら周りの人と仲良くなったりもするのかな?と期待に胸を躍らせていました。
しかし、入居して三日くらいが経った時の事です。部屋で寛いでいた際、ベッドが置いてある壁の方から何やら話し声が聞こえてきたのです。
最初は、隣の人が友達でも呼んでいるのかな?と思ったのですが、聞こえてくるのは一人の声だけであったため、どうやら通話をしているようでした。
部屋の壁が薄いというのもあったのですが、隣人は声量がやたら大きく、しかも相手のベッドは私のベッド側の壁の先に隣合う感じで設置されているらしく、会話が盛り上がり笑う度にベッドの上で体を揺らした際の衝撃がこちらにもモロに伝わってくるのです。
なんか、隣の人嫌だなぁ……と思いつつもその時はまだ夕方であったため、まぁ通話くらいなら誰でもするし多少なら仕方ないか、と軽く思っていたのです。
まさか、この感じがこれ以降も続く事になろうとは……。
隣人は部屋にいる時はほぼ毎日と言っていいほど誰かしらと通話をしており、電話だけにとどまらず謎のセリフの音読、歌を大きい声で歌うといった色んな種類の騒音を作り出すタイプの人でした。
それが分かっていくにつれて、ああ、私は俗に言う隣人ガチャに失敗してしまったのだな、と心から落胆してしまいました。
通話に関しては百歩譲って日中はまだ許す事ができても、自分が眠る時にそれをやられるともうたまったものではありません。
相手はかなりの夜更かし人間であり、十二時を過ぎてもまだずっと通話を続けている事が多々ありました。
しかも、かなり情緒が不安定なタイプであったらしく、バカ笑いしたと思えばその直後、ヒステリックに泣き叫ぶ声が聞こえてくる事も多々ありました。
泣きたいのはこちらだよ……とその度にフラストレーションは溜まっていきましたね。
一つ幸いだったのは隣人は外泊する事も多く、週の内で部屋に帰らない日が何日かありました。監視する気がなくても、いれば必ずうるさい筈であるため、いなければすぐに分かりました。騒音が起きずに静かな空間で過ごせる時は、本当に心から安堵しました。
それと同時にどうして私がこんな思いをしなければならないのか、と心底憎たらしくもありました。
あまりにもうるさく耐え難い時は、あまりよろしくはないですが壁を蹴ったり、ペットボトルの空容器を投げ付けて牽制してみたり……。
まさか自分がこの様な事をするはめになるとは思ってもいなかったのですが、私としてもせっかく手に入れた城を守るため、それを他人に邪魔される訳にはいかないという思いで必死だったのです。
管理会社の担当者へ何度かクレームを入れたりもしたのですが、注意を受けた直後は少しだけ静かになっても、少し経てばまた騒音を立てるようになるといういたちごっこの繰り返しでした。
そんな落ち着かない日々を過ごしていましたが、大学三年生の後半に差し掛かった時、世間では新型コロナウイルスの波が少しずつ広がっていき、最終的に私も一人暮らしを止め、実家に戻らなければならなくなってしまいました。
授業はほぼリモートになり、大学自体行く事がほとんどなくなってしまい貴重な学生時代を大変損した気になりましたが、それと同時にあの騒音と共にあった暮らしから解放される事に対して、安堵も抱いていました。
友人でも一人暮らしをしている人は何人かいましたが、私ほどの隣人トラブルを抱えている子はおらず、ガチャを引き間違えなければもっと快適な暮らしを送れていたのになぁと今でも思い出すと腹ただしくなります。
複数の人が同じ場所に住む、というのは常にトラブルと隣合わせであり、それによって生活の質を大きく左右されてしまう非常にリスキーな事であるのだな、と自らの経験を通ししみじみと感じています。
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