黒髪、ぱっつんの前髪、ロングヘア。

それが、倫理観のない関係を長年続けてきた男の「好み」の髪型だった。

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似合っているのかどうか、私が好きかどうかは関係ない。

彼好みの姿でありたかった。
望まれるなら、その姿であり続けようと常に努力した。

今の鏡の中には、当時とは別人の私がいる。
耳にかかるかどうかの長さのショートヘア。
流した前髪には、白いメッシュのように天然の白髪が入っている。
長年にわたり染めて隠していたが、今では私のチャームポイントだ。

髪型を変えたのは、気まぐれじゃない。
これは、私が私らしい姿を取り戻すための一歩だった。

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「私のもの」じゃない髪型。
黒髪、ぱっつんの前髪、ロングヘア。
それは彼の「理想の女の子」で、私はその枠にぴったり合わせていた。
ついでにメイクをすることも制限されていた。

そうして6年が経過したある日、突然ショートヘアにしたい願望が生まれた。
当時は分からなかったが、私は「彼の理想」から逃げ出したかったのだろう。
 今思えば、どこか幼く見えるその髪型で、子どものような姿のままでいてほしかったのだろう。
そう考えると、背筋がぞっとするような気持ち悪さがこみ上げてくる。
私は、誰のためにこの姿にしているのだろうかと。

彼との関係を続けている中で積み重なった小さな違和感が、だんだんとそう思わせるようになっていたのだと、今なら分かる。

美容室でショートヘアにしてもらい、その足でサークルの飲み会に行ったときのことは今でも忘れない。
先輩や友人に「誰だろう」とか「似合ってる」「大人っぽくなったね」と絶賛されてたときは、ほんとうに嬉しかった。
私の決めた髪型に「いいね」と言ってもらえたことが、心の底から嬉しかった。

美容室の鏡に映った私は、どこか幼さの残る「前の私」とはまったく違って見えた。
お手洗いの鏡に映る自分を見て、「誰だろう」と思うくらい、私は変わっていた。

案の定、彼には「ロング」が良かったと文句を言われた。
それは彼以外からもらった好評の声で見事にかき消されたのだった。

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白髪染めをやめたきっかけは、ただの怠け心だった。
2週間に一度の白髪染め。
仕事が忙しかったり、タイミングを逃したりすると、つい後回しになる。一人暮らしだと、それはなおさらだ。

ある日、鏡に映った白髪を見て「どこまで伸ばせるかやってみようかな」と興味本位で思った。
問題なければ白髪染めをする必要がなくなる。単純に伸ばした姿も見てみたかった。

白髪が現れたのは、中学2年生の頃だ。
それまで黒髪だったのが、突然生え際の一部分だけ白髪で生えるようになったのだ。そこから、白髪染めが欠かせない生活が始まった。
当時、黒色の白髪染めは市販では存在しなかったため、仕方なく一番黒に近いダークブラウンを選んで染めるようになった。
その影響で前髪が一部茶色く見えたせいか、高校の身だしなみ検査でひと騒動起きてしまったこともあった。 

実家暮らしのときは、生え際から白髪が少しでも見え始めると、母は敏感に気づいて「みっともないから染めるよ」と言った。
その度に「面倒くさいな、でもこのままでは確かにみっともない」と思っていた。
ひとり暮らしなら母に指摘されることはないし、今の会社も髪色をの指定はない。人生一度くらい、思い切って伸ばしたらどうなるかやってみようと思った。

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ドキドキしながら数カ月が経った頃、鏡に映った自分の前髪には、まるでわざと入れたような白いメッシュがくっきり浮かんでいた。
まさか、白髪が黒髪とパキっと別れ、キレイに一本線のように伸びるとは思ってもみなかった。
周りからは好評だったし、誰もが白髪ではないと信じて疑わなかった。

「前髪素敵ですね」
「白のメッシュかっこいいですね」
「美容院でどうやって入れてもらったんですか?」
「そこだけブリーチするの、大変だったんじゃないですか?」
「私も真似してみたい」

美容師の人でさえ、これが白髪だと気づくのは3人に1人の割合だった。

毎週染めるのが面倒だったこの白髪を、そのままにしていいと、自慢の白髪だと思えたのは、伸ばしてみたからこそだった。
母の言葉を振り切って、伸ばして良かったと思えた。
ありのままのこの髪色を、愛していいのだとようやく思えた。

実家に帰って髪色を見せたら、母もようやく「いいじゃない」と言うようになった。正直、ちょっとムッとしたけれど。
この白黒の髪をもう染める気はない。
私はこの髪色に、自分でも驚くほどの愛着を持っている。

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髪型って、不思議だ。
ただ見た目が変わるだけじゃなく、心まで変える。
自分が「これが好き」と思えることが、こんなにも心地いいと感じる。

耳元で揺れるショートヘアも、白くにぶく光る前髪も、今の私は、心から気に入っている。
よっぽどのことがない限り、もう変えることはないだろう。

この髪型は、わたしが「わたし」を取り戻した証。
そして、これからも「わたしらしく生きていく」ための旗印だ。