実家という小さな世界を出て。「親も他人だ」と気づいた私の記録

実家を出て、最初に気づいたのは「歪み」だった。
井の中の蛙、大海を知らず。
その言葉のとおり、実家にいた頃の私は、あの家の常識がすべてだと思い込んでいた。
でも、一人で暮らしはじめて気づいた。
たとえ血がつながっていても、「親」や「家族」とは、ひとりの「他人」なのだということに。
価値観も、考え方も、少しずつすれ違っていく。それでもなお、つながっていたい相手だからこそ、そのズレに戸惑った。
ああ、私はこうやって、誰のものでもない「自分」になっていくんだ。
そんな実感を持てたのは、一人暮らしをはじめてからだった。
私は今、25歳。
社会人になって4年目。学生の延長だった感覚も薄れ、「若手」と呼ばれる時期も、少しずつ終わりに近づいている。
これまで親に支えてもらい、甘えて生きてきた。
でもこれからは、親を支える側へと変わっていくのだろう。
だけど、まだその狭間にいる。
大人になりきれていない自分がいて、「自分のことだけ考えていればよかった時間」は終わったのに、どこかでまだ足掻いている。
そんな、移り変わりの季節のなかにいる。
私は、社会人になると同時に一人暮らしをはじめた。
本音を言えば、出たくなかった。ずっと実家にいたかった。
だけど、自分が進みたい道を選んだ結果、家を出るしかなかった。
最初のころは、仕事に家事にやることが多すぎて、心も体もいっぱいいっぱいだった。
でも、人間って、不思議と慣れる生き物だ。
今では、一人で暮らす日々が心地いい。
そしてようやく気づいた。
あの家の常識は、世界の常識じゃなかったのだと。
思い出すのは、社会人1年目のお盆休み。
友人と東京へ遠征する予定を立てて、観劇のチケットも取っていた。
そのことを母に伝えると、返ってきたのは怒りだった。
「パパのお休みと、あなたの帰省日がまったくかぶっていない。なんて親不孝な娘なの」
あれは、衝撃だった。
私は「帰らない」とは一言も言っていない。
それなのに、この言い方。
あの瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。
そして、思った。
あれ? なにか、おかしい。
それが、最初の「違和感」だった。
きっとあの頃は、私も親離れできていなかった。
それと同時に、母も子離れできていなかったのだと思う。
それは、一人暮らしをしていなければ気づけなかったことだ。
私は、一人暮らしを誰にでも勧めるつもりはない。
向き・不向きもあるし、状況だって人それぞれだ。
でも、少なくとも私にとっては、必要な経験だった。
離れてみて、初めてわかることがある。
今だって、家族とはほぼ毎日連絡を取り合っている。
たぶん、傍から見れば仲のいい家族に見えるだろう。
でも、あの「温室」のなかにいたままでは、きっと気づけなかった。
私はまだ、なにも知らない。
そう気づけたことが、何よりの収穫だった。
まさに「無知の知」。
これはきっと、どんな環境にいても言えることなのだと思う。
だからもし今、何かに迷っている人がいるのなら、私はそっと、こう言いたい。
その一歩は、きっと人生の糧になる。
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