髪を切った。約10年ぶりのショートヘアだ。

ここまで短くしたのは、高校生のとき以来。あの頃はたしか、 女優の蒼井優やAKB48の前田敦子が、長い髪からイメチェンをして話題になっていた。「ショートっていいな」と思わせる空気があり、それに影響されたんだっけ。

髪を染めるのもやめてみた。生まれ持った地毛の色が、自分 に一番似合う髪色らしい。カラー代の節約になっていいかもしれない。 

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周りの反応から察するに、思い切ってこの髪型にして正解だった。

友人からは「いままでで一番似合っている」と絶賛された。学生時代からの仲なので、たぶんお世辞ではないと思う。職場では「広末涼子みたい。もちろん、良い意味で!」と、気遣いも交えて褒めてもらった。もちろん悪い気はしない。

デビュー当時の広末涼子と同じくらい、すっきりとした長さになった。頭が軽い。首が長く見える。頭身まで高くなったような気さえする。なぜもっと早く切らなかったのだろうと後悔した。

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これまでの20代は、「女性らしさ」という呪縛にとらわれ過ぎていたと反省する。

「男ウケ 服装」や「男ウケ 髪型」というワードを、私ほどググった女はいないのではないか。なるべく毎日スカートを履こうと心がけていた。レースのハンカチを持ち歩いて、清楚な女性像を目指したこともある。思い返すと笑い話だが、当人は真剣だ。

いわゆる「モテる」タイプでは全くなかった。言いたいこと言ってしまいたい性格で、話題の「あざとい」とは程遠い。だからこそ、見た目くらいは女らしくせねば、というプレッシャーがあった。

ここ数年、鎖骨下のミディアムヘアにしていたのは、その方が万人ウケすると思ったから。髪を短くしてしまったら、ますます「モテ」から遠ざかりそうで怖かった。

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いつから、こんな風になったのだろう。 昔はもっと、自分の感覚に素直だったのに。 

 子どもの頃の私は「女の子らしい服」を頑なに拒んでいた。
スカートを履く自分なんて、なんかヘン。年の近い兄がいて、男の子っぽい趣味が好きだった影響もある。 

ある日、家族に連れられたショッピングモールで、浴衣をすすめられた。両親としては、娘をかわいく着飾ってあげたかったのだろう。そんな親心を察しながらも、私は「いらない!」と抵抗した。艶やかな花柄が、イヤでイヤで仕方なかったのだ。

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最近「パーソナルデザイン」なるものに出会った。

顔立ちや体格、話し方などから、その人に似合うファッションやメイクを導き出す診断らしい。骨格タイプやパーソナルカラーとはまた違い「どんな印象が魅力的に見えるか」を知るためのものだ。

プロに見てもらったところ、私は「自然体が魅力の”ナチュラル”タイプ」だそう。無地のTシャツにデニムのような、シンプルな装いが映えるらしい。

驚いた。これが意外にもしっくりくる。

いままで「女性らしく見せなきゃ」と努力していた服装は、むしろ「やりすぎ」だったらしい。実際、フリルのついたブラウスやドレッシーなワンピースは、どこか着ていて落ち着かない。

「本当の私ではない」と感じていたのだ。自分ではない誰かになるために、化けの皮をかぶっていた節がある。

このごろは、ユニクロで買ったスウェットがお気に入りだ。セットアップで着られるように、何着か揃えている。汚れてもいいと思えるから気楽だ。ハイヒールも履かない。最近の足元は、もっぱらスニーカーだ。

「行動力がある」と褒めてもらうことがある。それはたぶん、いつでも動ける服と、走れる靴を選んでいるから。

行きたい場所があったら、すぐに向かうことができる。欲しいものを探しに出かける。思い立ったらすぐ実行できる自分でいたい。そのためには、心も体も身軽でいることが大切だ。

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髪を切って、ようやく本来の自分に戻ってきた。スニーカーに、スウェット。なんなら、顔はすっぴんのままでもいい。

かつては、あの田中みな実にあこがれて、彼女が表紙の美容雑誌を買っていた。いまならわかる。誌面に出てくる完全無欠の女性像は、私にとって荷が重過ぎた。

人目を惹く高嶺の花より、道に生えてる雑草の方が、自由でいいのかも。いったん、花になるのはやめておく。

余計なものを削ぎ落としていくスタイルが、私には向いているらしい。長いより短い。重いより軽い。これが"自分らしさ"とかいうやつなのか?

今後しばらく、ショートヘアを継続する。