似合わなくても自由だった。派手髪が教えてくれた私らしさの輪郭

なんだか定期的に派手な髪色にしたくなる。大学生の頃は髪色に規定がないバイトをしていたのでお金を貯めてオレンジ、ピンク、インナーカラーに紫やベージュと様々な髪色を楽しんだ。正直、私はオシャレにあまり興味もないしメイクも週に一回くらいしかしない。
髪色ばっかりが派手でメイクが薄く服も地味だったので、髪色とその他のバランスはかなりチグハグで、自分からみてもあの時の自分はダサかった。寝起きに鏡を見たらボサボサのオレンジの髪に、浮腫んで腫れぼったい瞼の自分が映った時は我ながら醜すぎると思ったものだ。しかも髪をブリーチしているので、毎日鏡を見るたびに少しずつ根本の黒い部分の面積が広くなるのを見てうんざりしていた。
似合わないし維持が大変だし面倒だしお金もかかるし鏡を見るたびにストレスも溜まる。嫌になって髪色を暗くして、でもまた髪色を明るくしたくなってブリーチして、を繰り返していた大学時代だった。しかし自由な大学を卒業するとともに派手髪も卒業し、髪の毛を暗く染めた。その時にこのまま暗い色で生きて行こうと誓った。社会人ってみんな髪黒いしね。その方が楽だし。
2年後、揉めて揉めて会社を退職した日、会社を出て駆け足で美容院に向かい言い放った。
「出来るだけ派手にしてください!!」
そして私は再び私の髪色は派手になった。前髪も後ろ髪もインナーカラーでベージュを入れて、外側は紫がかった黒にしてもらった。動くたびに髪の毛がさらっと揺れて黒髪からベージュがのぞく。胸まであった髪の毛をウルフっぽいボブにした。
想定していたより短くなってしまったが、カットモデルで格安で切ってもらったので文句は言えない。久しぶりに剥き出しになったうなじがソワソワして落ち着かなかったが、意外にもボブも似合っていて嬉しかった。
暗めの茶髪と一緒に会社での最悪な思い出が切り落とされたような気がした。髪色が変わっただけでこんなにも気分が変わる。鏡に映った自分はリクルートスーツを着ているのに髪色だけが派手でなんだか妙だった。でも妙にスッキリとした顔をしていた。なんだかワクワクした。
維持が大変なのに、似合わないのに、地味な顔と派手な髪でチグハグになってダサくなってしまうのに、やめた方がいいってわかっているのにまた派手髪にしたくなってしまう。なんだか髪の毛を派手にすると自由になった気がする。
髪をブリーチして色素を抜くと、なんだか嫌な気分も抜けていく気がする。派手髪にすると、なんだか全てから解放されて自由な気がする。派手髪って、自由の証だ。
その次は明るめなオレンジにした。次の次は赤みが強いオレンジにした。他人から撮られた写真がカラフルになって嬉しい。髪色と合うようにバッチリメイクも服装も決めた私は可愛い。用もないのにルミネに行って、エスカレーターの鏡に映る自分を見てうっとりとしていた。髪色が変わると似合う服も化粧も変わる。似合わなくて仕舞い込んでいたビビッドピンクの服を試しに着て見たら、めちゃくちゃ似合っててびっくりした。
「髪色は可愛いけど、服が綺麗めだから似合ってないよ!暗い髪色の方が垢抜けて見える!」というありがたいアドバイスも頂いた。金かけてるんだからお世辞でも似合ってるって言えやという気持ちと、他人からの忌避のない意見はありがたいという気持ちが両方あって微妙な気持ちになった。やっぱり他人から見ても私に派手な髪色は似合っていないらしい。
そして季節が一つ変わり、また鏡に映る派手な髪色と化粧気のない自分のチグハグさに耐えられなくなって、そしてついにお金が無くなって黒髪に戻した。美容院代を節約するために数ヶ月は髪を染めないつもりだ。就職もするし、派手髪はもうしばらくやらない。でも、もし次染めるしたら次は下北沢でサブカル系の服を揃えてメイクも似合うものにしたい。多分週に一回しかやる気がでないから、週に六日はクソダサい日が続くと思うけど。
派手髪は似合わないし面倒臭い。オシャレでない私にとって垢抜けと対極の存在だとすら思う。それでもきっと私はまた髪をブリーチしてオレンジに染めるだろう。多分、自由を感じたくなった時に。
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