私は生まれてこの方、実家を出たことがない。小中高はもちろんのこと、大学すらも実家から通えるところを選んだほど、実家暮らしを自ら望み、楽しんでいる。

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一人暮らしを検討したことがないわけではない。一度はしてみたいとさえ思っている。しかし私にとって一人暮らしとは、すでにオアシスひとつないとわかっている広大な砂漠に、たったひとりで放り出されるようなものだ。だが実家暮らしにも限度はある。私が住んでいる場所は、田舎ではないが都会とも言えないようなところである。推しのライブやイベントが開催されるような場所でもないため、SNSを眺めてはいつも歯痒い思いをしている。流行りのスイーツを流行っている時に食べられることなんてほぼ無いし、休日に出かけられるところは限られている。それでも私は、実家暮らしを選び続けている。

そのいくつかの理由の一つに、私自身の問題がある。幼い頃から好奇心旺盛で、どちらかといえばリーダーシップを取るような少女であった私は、ある時を境に外の世界に酷い恐怖を覚えることとなった。きっかけはいくつかある。一つはイジメ、二つは事故、三つにストレス。これらがきっかけとなり、私は外に出ることを極度に恐れ、自分自身の意思に対して不安を抱くようになった。

他に、私の家族の問題がある。母は重度の身体障がい者であり、父は過重な仕事のストレスに日々苦しんでいる。弟は絶賛受験生であり、共に暮らす祖母は足腰に不安がある。

そんな家族を置いて、実家を出て、一人暮らしをする。もし災害が起きたらどうする?もし家族の誰かが倒れてしまったら?いつもそんなことを考えていると、一人暮らしの利点よりも、実家暮らしの安心感の方が私には大きく感じられるのだった。

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さて、そんな私だからこそ「実家暮らしは甘え」という意見には少し思うことがある。もちろんそう思ってしまう人の心情は慎重に推し量るべきものであるし、どちらの意見が絶対的に正しいというものでもない。しかし昨今のSNSにおいては、「子ども部屋おじさん」あるいは「子ども部屋おばさん」といったワードをよく目にする。

そしてそういった単語が使用される時は決まって、実家の、かつて自分が使っていた部屋で暮らす中年層を批判するという目的がある。

しかし一度冷静になって考えてみてほしい。いわゆる「子ども部屋おじさん(おばさん)」は必ずしも両親に対する過度な愛情や、その人自身の子供っぽさに起因するわけではない。そういった人が一定数いることは事実としてあるが、全ての人がそうではないということだ。

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だが実家で暮らすということは、何かしらで家族の支えのもとで生活している、という仮定に関しては肯定せざるを得ない。よく目にするのは、料理や洗濯などの家事を母親に任せていたり、掃除を丸投げにしてしまっていたりするケースだ。

決して法に反する悪いことというわけではないが、それでも社会的な心象は良いものではない。その理由として考えられるのは、やはり「いい歳した大人が、いつまでも親の庇護下に置いてもらっている」ことに対する抵抗感だろう。しかしここで忘れてはならないのは、親の介護のために実家で暮らしているという人もいるという現実だ。

そういった人たちは多くの場合、親の庇護を受けられるような立場ではなく、むしろ親を支える側に回っていると言える。だからこそ一概にどちらの主張が正しいか、とは言えないのである。

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ここまでつらつらと述べてきた私が言いたいことは、相手がそうある要因を知らずに、無責任に他人を批判するような大人ではありたくない、ということだ。この世界には大勢の人が暮らしている。価値観が違うのも、意見が対立し合うのも当たり前だろう。

しかし、そこで相手の意見を真っ向から否定するのではなく、寛容な心で他者を受け入れ、自分自身の意見も含めて尊重し合える社会こそが、これからの私たちに必要なのではないだろうか。