あの夏祖母に教わった着付け。夏は浴衣を着る、特に予定はなくても

私の住む地域は、夏でもカラッと晴れて気温が高くなっても湿度が低く、比較的快適に過ごせる。そんな夏に私が着るのは浴衣だ。
何も祭りがあるわけではない。花火大会もない。ただの土日に浴衣を着る。
「浴衣というものは漢字の通り、昔はもっと楽に頻繁に着ていたのよ」
そう言って、着付けを教えてくれたのは来年米寿になる祖母。
私が浪人していた夏、地元は蒸し暑くてとてもじゃないが薄着じゃないとやってられなかった。でも薄着だとエアコンの風で寒さも感じる。
そんなときに祖母は、昔私の母が着ていたという緑色の浴衣を持ってきた。
「浴衣だと帯も締めるからお腹冷えなくていいのよ」
そう言いながら慣れた手つきで私に着付けていく祖母。
「お出かけするわけじゃないから帯は簡単にしておくからね」
できあがったのは、温泉旅館にいるときの浴衣よりはしっかりしていて、お祭りに行くときよりはラフな浴衣を着た私。
そのまま机に向かうと、シャンと背筋が伸びて集中して勉強できた。
長い袖とおはしょりと帯のある腰回りは、私をエアコンの冷えから守ってくれた。
「おうち浴衣、いいかも」
そう思って私は祖母から着付けを習うことにした。
「まずは脱いだものを畳めるようにするの。これはお着物や振袖も一緒よ」
祖母は着付けの基本のキから教えてくれた。私が習いに来ると思っていなかったのか、意外そうな顔をしたけれど、ニコニコしながら教えてくれたのを覚えている。
「本当はね、帯の結び方とか訪問着の着付けとか教えたいけど、なおちゃんは今勉強頑張ってるなら、また今度ね」
祖母は、不器用な私が1人で着られるようになるまで、根気強く、優しく教えてくれた。
やがて日が経ち、1人で着られるようになると、祖母はとても喜んだ。
「その緑の浴衣はね、私が反物から仕立てたの」
さすがは江戸っ子の祖母。祖母の実家は飲食業を営み、周りの家より裕福だったと聞く。東京大空襲で家は燃えてしまったけど、祖母は生き延びて祖父と暮らし、母と叔父を産み育てた。
「なおちゃんのお母さんに作ったんだけど、あんまり着てもらえなかったから、こうして今、なおちゃんに着てもらえるのは浴衣も喜んでるわぁ」
と言った祖母の顔を見て、祖母孝行が少しできたかな、なんて私は思った。
それから数年経っても、夏になると私はあの緑色の浴衣を着る。
夫は、最初こそ驚いたが、手伝ってほしいところを頼むと、衣紋を抜くのが少し苦手な私に協力してくれるようになった。夏が始まるとそろそろか、と浴衣を出してきて、今シーズンは何回着れるだろうかと考えるとワクワクする。
毎年夏になると着ていた緑色の浴衣の他に、祖母は私が気に入った柄の浴衣を新しく買ってくれた。
結婚して地元から離れたから、浴衣を着て祖母に見せるのは難しくなった。しかし、夫に写真を撮ってもらい、祖母に送ると、「綺麗に着られるようになったね。でも〇〇がもう少し……」なんて一言アドバイスをくれる着付けの師匠。
夏だから浴衣を着る。特に出かける予定はないけれど。
浴衣を着ると背筋が伸びて気持ちいい。エアコンをつけても冷えすぎなくてちょうどいい。
あの夏、祖母から浴衣の着付けを教わってから、自分の夏が豊かになった気がする。
それに浴衣を着ることに慣れていると、いざ花火大会へ行くことになっても、着崩れしにくいし、着崩れしても簡単に直せる。
「なおこさん、立ち居振る舞いに風情があっていいわね」
義理の母に褒められた私は、すかさず祖母を自慢した。
今年も暑くなってきたが、私は在宅で作業をすることが多いから、またあの浴衣を着ることにする。
あの夏にできた祖母との思い出を、この先夏になるたび、少しくたびれた緑色の浴衣を見て、思い起こすのだろう。
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