私は引きこもりになって、半年以上が経つ。

きっかけが何だったのかは、もうはっきり思い出せない。最初は、ちょっと休もう、ぐらいの気持ちだったはずが、いつの間にか外に出ることがめんどくさくなってしまった。

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私は今、実家暮らしだ。そして、一度も一人暮らしをしたことがない。
学校に通っていたときも、通学圏内だったから家を出る理由はなかったし、成人した今も、アルバイトはしたことあるが定職として働いたことがない。だから、特に「家を出る必要」が生まれたことがない。

さらに言えば、おそらく私はこのまま一人暮らしを経験しないで、生きていくのかもしれない。
それがいいのか悪いのか、まだ判断はつかない。けれど、そうなる可能性は高いだろうな、となんとなく思っている。

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実家暮らしには、もちろんいいところもある。
毎日、ご飯に困らない。家に帰れば誰かがいて、あたたかい味噌汁と炊きたてのご飯がある。それは当たり前じゃない。家賃がかからない。光熱費も払っていない。洗濯も、掃除も、全部自分ひとりでやらなくていい。
そんな生活がどれだけ恵まれているか、頭ではちゃんとわかっているつもりだ。

でも、だからこそ、負い目のようなものもある。

家にお金を入れているわけでもない。
「今ここにいていいのだろうか」と、ふとした瞬間に思ってしまう。
特に、朝や昼間にトイレに立ったり、キッチンに水を汲みに行ったりするだけでも、家族の視線が気になる。

「まだ寝てたの?」
「今日はどうするの?」

そんな言葉が、言葉にならなくても、空気として伝わってくる気がする。

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もちろん、家族は私を責めてはいない。心配してくれているのだとわかっている。
でも、「心配」はときに「監視」にも似た感覚を生み出す。
家の中にいても、常に誰かの気配を感じる。「ちゃんとしなきゃ」という焦りが、どこからともなく湧き上がる。自分でも面倒くさいと思う。でも、そう感じてしまうのだから仕方ない。

お金を稼いで一人暮らしができるのなら、こんな思いはしないのだろうか。
自由気ままで、好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きなだけ引きこもっていられる。誰にも何も言われずに、自分のペースで生活できる。
たまにそんな想像をすることもある。

けれど、もし本当に一人になったら、私はちゃんと生きていけるのだろうか。
ご飯を自分で作って、洗濯をして、ゴミを出して、生活費を管理して……。
そういうことを想像すると、不安のほうが大きい。
たぶん私は、まだ自分一人の人生を背負う覚悟ができていないのだ。

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一人暮らしには「自由」がある。でも、自由には「責任」がついてくる。
実家暮らしには「安心」がある。でも、その安心には「縛り」もある。
きっとどちらにも、良いところとそうじゃないところがあって、どちらかが完全に優れているわけではないのだと思う。

私の知っている世界は、「実家暮らし」しかない。
だから、一人暮らしをしたことがある人の話を聞くと、まるで違う国の文化を見聞きしているような気分になる。
「洗濯機をまわすタイミングが悩ましい」とか、「お風呂、掃除が面倒だから入るか迷う」とか、「家賃」とか。
私の生活とはまったく違う景色が、そこにはある。

私はきっと、一人暮らしに向いていない。
孤独が好きなようで、実は誰かの気配がないと不安になるタイプだ。
一人のほうが楽そうと思うことはあっても、完全な孤独には耐えられない気がする。

でも、それでも、やっぱり少し憧れる。
何にも縛られず、自分の責任で、自分の人生を動かしていける感覚。
自分のペースで歩くことを、誰にも止められない場所。
そんな空間に、私はいつか足を踏み入れられるのだろうか。

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今の私は、ただ「ここにいる」だけで精一杯だ。
それでも、生きている。ちゃんと、息をしている。
それならそれで、今の私にはそれでいいのかもしれない。

いつか、一人暮らしをする日が来るのかもしれない。
来ないかもしれない。でも、どちらでも、私は私の生活を選んで、続けていく。
それが、今のところの私なりの「暮らし」に対する、ささやかな覚悟だ。