35年前の初夏、広島の大学へ通っていた私は、キャンパス内の樹木に吊されたチラシに目をめた。

『夏休み 雄大な北海道で 青春の汗を流しませんか?』

たしかこんな誘い文句で、道内のとある町で農作業を手伝う若者を求める内容だった。
農業にはそれほど興味がなかったが、「北海道」「大自然」「無料で滞在」などのキーワードに胸がキュン!

(コレ、いいかも……)

◎          ◎

来月から始まる夏休み。だが九州への帰省と自動車免許取得くらいしか予定のない私は、“ナニカトクベツナコト”をやりたかった。

というのも1年生の夏は、体育会系テニス部の厳しい練習だけで終わったから。それも青春の1コマだが、「短い学生時代、もっと自由に新しいことにチャレンジして視野を広げたい!」と、思い切って部活を辞めて興味のアンテナを張り巡らしていたので、そのチラシに目まったのだろう。

まずは生協でミニ時刻表を購入。研究室にいた男の先輩をつかまえた。

「先輩、時刻表の見方を教えて」
「ええけど、夏休みにどっか行くん?」
「北海道!」
「え~っ⁉」

そう。手持ちのバイト代で北海道へ渡るには節約あるのみ! 青春18切符を駆使して鈍行列車とフェリーで往復するビンボー旅行を計画した。

◎          ◎

「乗り継ぎ時間がブチ(とても)短い駅もあるけえ、気をつけんさいや」
「人生初のひとり旅じゃろ? ホンマに困ったら電話するんよ。悪い人に騙されんよーに」
「ダイジョーブ!」

九州の片田舎出身で並外れた方向音痴。そんな私を心配し、研究室の仲間や先輩たちが色々アドバイスをくれた。
いま考えると無謀の極みだが、若さと体力と好奇心のなせるワザだったのだろう。
私はリュックサックに必要最低限の荷物とワクワクを詰め込み、広島発の鈍行列車に乗り込んだ。

◎          ◎

数日後、なんとか無事に北海道へ到着。
お尻がぺったんこになるほど鈍行列車の硬いシートに座り続け、関東の港から北海道へ出航した(たしか2日以上かかった)
そこからまた列車で大移動――車窓から見た原生林や果ての見えない広大な大地に(これが北海道……すごい!)と圧倒されつつ大感激。
当時はいまよりずっと涼しく、湿気のない爽やかな風が心地良かった。

その先の記憶は少し曖昧で、目的地の農場に半月ほど滞在したと思う。
そこには全国各地から同年代の若者が集い、地元の若い農業従事者に混じって畑で汗を流した。
作物の種類は忘れたが、広大で肥沃な大地で取り組む農作業は重労働でも新鮮で学びが多く、地元の人々とのふれあいも楽しかった。

◎          ◎

が、慣れぬ土地での集団生活は疲労が溜まる。
おまけにノーテンキなアホ学生だった私は、毎晩のように『この国の将来』や『農業の行く末』について意見を戦わせる若者たちの熱い議論についていけず、ちとウンザリ。
それで早めに切り上げ、道内を旅することにしたのだ。

再び青春18切符の登場。しかし広大な北海道では特急列車やバスも利用せねばならず、懐のお金は乏しくなる一方。
そのため駅のベンチで夜を明かしたり、ニンジン畑で間引きを手伝って小銭を稼いだりしながら1週間ほど道内を周遊。行きと反対のルートで広島へ戻った。

◎          ◎

アパートへ着いたときは、さすがにクタクタのヘロヘロ。泥のように爆睡したあと、九州の実家へ電話をかけた。

「おかえり、やっと帰ってきたとね~」と安堵の声を上げた母。そしてこう続けた。

「誕生日おめでとう」
「あっ!」

なんとまあすっかり忘れていたが、北海道を旅している間にハタチを迎えていたのだ。

◎          ◎

今月末、私はまたひとつ歳を重ねる。
35年前のあの夏からずいぶん遠くへ来てしまったが――その後の人生を豊かにしてくれたあの旅の記憶は、いまも心の奥で息づいている。キラキラ光を放ちながら……。
ハタチの夏の大冒険。
生涯忘れないだろう。