人生の半分を摂食障害とともに生きてきた私を照らしてくれた母の言葉

14歳で拒食症を発症し、1年後には過食嘔吐へ移行。すでに人生の半分を摂食障害とともに生きてきた。
思春期に身体の変化を受け入れられなかったことと、長距離走で「体重1kgでタイムが1分縮む」という言葉を鵜呑みにして始めたダイエットがきっかけだった。
高1から実家を出て一人暮らしを始め、親の目が届かない環境で症状はどんどんエスカレートしていった。
これまで吐かなかった日は、手術を伴う入院時のみ。
それ以外は受験前日・当日等の人生の一大事の時でも過食嘔吐したし、家族や友達との食事、恋人とのデート中でも、「ちょっとトイレ」と席を外しては、隠れて吐いた。
必死に勉強して手に入れた旧帝大合格、大手企業就職、職場で積み上げた功績、友人・恋人との間で築き上げた信頼関係…そんなかけがえのないものや自分への評価が、過食嘔吐であるという一点の雲りによって、失われるかもしれないという恐怖心。
一番の悩みは、食費と孤立。過食嘔吐に費やすお金・時間と、家族・友達・恋人と過ごすためのお金・時間を天秤にかけた結果、いつも前者の誘惑に負け、莫大な浪費の末に残るのは、虚しさと、徒労感。
そして、これは、自分の大好きな人たち、大切な人たちに対してこそ、「絶対にばれたくない・ばれてはいけない」秘密であり、一人で抱えて生きていくにはあまりにも重い足枷だ。
摂食障害である自分自身のすべてをさらけ出すことができる唯一の存在であった母が、今年の1月に癌でなくなった。拒食症当時、痩せ細った私に、少しでもご飯を食べさせようと必死だった母。その後、過食嘔吐に転じてからは、母と二人でよく食べ放題に出かけるようになっていた。ある日、食べ放題でケーキを頬張る私に対し、母が言った。「○○は生きるために過食症になったんだね」。
あの時、拒食症のままだったら、私は栄養失調で死んでいたかもしれない。
過食嘔吐は、悩みの種でもあるけれど、私の受験を支え、就活を支え、人間関係、仕事のストレスを紛らわし、孤独を埋めてきた相棒であり、命の恩人でもあったのだ。
また、母はこんなことも言った。
「お母さんは、普通の量でおなかいっぱいだけど、○○は何度もおいしい想いができる、そんな羨ましいことはない。これは○○の特技だよ、アイデンティティだよ」と。
そんなの、当事者じゃないから言えるんだ、本人はどれだけ辛い思いをしているか、と今でも反発する自分がいる一方で、こんな風に、病気の私を肯定してくれた母の言葉が、母のいなくなったあとの私の人生を照らしてくれる光でもある。
過食嘔吐は、見た目には摂食障害かどうかの見極めが難しい。
でも、言えない・言わないだけで、苦しんでいる人が実は周りにたくさんいる。
「食べ物は命の恵。命を大切に」過食嘔吐はこの考え方の真逆を行く行為だ。
倫理に反する行為であるということが、この病気のカミングアウトを難しくしている要因の一つだと思う。
私も、家族とカウンセリング以外では、誰にも打ち明けたことがない。
しかし、心の底から一緒に人生を歩んでいきたいと思う人には、どこかですべてをさらけ出す覚悟が必要なのかもしれない。
「過食嘔吐だから大切な人との人生を諦める」ではなく、カミングアウトした先に、「過食嘔吐の自分を受け入れてくれる人との人生」が待っている可能性もある。とてつもない大きな賭けではあるが…。
いつか、摂食障害を笑いながらカミングアウトできる自分と、そんな私を受け入れてくれる人との人生があったらいいなと思う。
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