先日、母校の野球部の応援に呼ばれた。
夏の甲子園の神奈川県大会3回戦。試合予定日は雨だったため翌日に順延となり、吹奏楽部はコンクールメンバーが来れなくなってしまい野球応援メンバーは11人のみ。現在母校で吹奏楽部顧問をやっている後輩から、「明日の朝9時に楽器を持って〇〇球場へ来ていただける方はいませんか?」と連絡が来た。

◎          ◎

そんな無茶な、と思いながら、高校野球が大好きなわたしは二つ返事で球場へ向かった。話は聞いていたが、同期が2人来ていた。特別仲が良かったわけではなく、卒業以来会っていなかったため、およそ10年ぶりの再会だった。

彼女たちは変わっていなかった。相変わらず大人の女性らしさがあるトロンボーンの同期と、こちらも相変わらず気遣いの達人のようなパーカッションの同期。当時から変わってしまったのはわたしだけだった。

◎          ◎

彼女たちは、音楽に一生懸命だったわたししか知らない。小学生からずっと音大を目指し、部内で一番でありたいと毎日朝から晩まで練習していたわたししか知らない。別に今まで会う機会もなかったけど、夢の音大を辞めてしまった今の自分が恥ずかしくて、なんとなくずっと会えなかった。

心の準備もできないまま突然再会して、暑いねなんて話して、今何してるのって。「演奏活動したり、一応講師もやってるよ」「楽器続けてるのすごいね、音大だったんでしょ?」「うん、途中で辞めたけどね」「そうなんだー」

えええええ。もうちょっと衝撃受けたり失望されたりするものなのかと思った。でも世の中って本当に、思ったより全然わたしのことを見ていない。なんだ、それならもっと早く、会いたい子に会いたいって言えばよかった。

◎          ◎

でも、会えて嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。高校卒業後わたしは地元を離れてしまい同期の集まりには行けなかったし、もともと友達と深く付き合うことがないから、帰省しても、就職で地元に帰ってきても、誰からも誘われることはなかったから。

その日、わたしたちは校歌を演奏できなかった。おそらく応援団長であろう野球部の3年生が、相手校の校歌の前奏を聞きながら「野球やっててよかった」とつぶやいた声を忘れられない。
こんなに素晴らしく若々しい高校生と一緒にしてはいけないが、わたしも音楽をやっていてよかった。音楽で出会えた仲間に声をかけてもらい、そのおかげで同期と再会できて、世の中が思ったよりもわたしを見ていないことを知ることができた。

◎          ◎

10年前の、最高の3年間をわたしは忘れないし、短い青春で出会えた仲間たち、その仲間たちから教えてもらった「みんなあんまりわたしのことを見てない」という安心感も忘れない。
今年コンクールに乗れなかった11人の吹奏楽部員、現役野球部のみなさま、現役チア部のみなさま、どうか一瞬しかない高校生活を、今日の試合を、忘れないでほしい。そして今隣にいる仲間たちが今後の人生で価値のある存在であると、忘れないでほしい。