フィンランドの森に初めて興味を持ったのは、大学4年生の頃だった。

教育学部に在籍していた私は、卒業論文のテーマを決めかねていた。「主体性とは何か」「人はどうすれば自分らしく生きられるのか」といった問いは、ずっと私の中にあった。だからこそ、卒論でも「主体性の育まれ方」をテーマにしようとは決めていたものの、それをどう扱えばよいのか、研究の切り口が見えずにいた。

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そんなある日、友人に誘われ、ある「内省と対話のキャンプ」に参加した。そこで初めて本格的に森に足を踏み入れた。自然の中で人と語り合い、自分と静かに向き合う時間。そこには、机上の理論では捉えきれない、主体性の“芽生え”のようなものが確かに存在していた。 
その体験から、ふと「北欧の教育は幸福度が高い」という話を思い出し、調べてみると、フィンランドでは実際に森の中で授業をするという実践が行われていた。「これだ」と心が震えた。そこからは夢中で森の授業について調べ、5万字を超える卒論を書き上げた。悩んだ末に辿りついたテーマだったが、最終的には心から納得のいく研究となった。

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そして、卒業から数年が経った夏。ようやく私はその“本場の森”に立つことができた。実際にフィンランドの空気を吸い、大地を踏みしめ、自分の足で森を歩くこと。それは長年の夢でもあり、研究を越えて、個人的な祈りのような旅でもあった。
飛行機の窓から見えたのは、果てしなく続く緑の絨毯だった。国土の3分の2が森林だと知識では知っていたけれど、実際に見るその景色は圧巻だった。空港からヘルシンキ市内へ向かう道すがらも、ずっと森、森、森。森が好きな私にとって、それは胸が高鳴る光景だった。

国立公園の森を訪れると、そこには犬と散歩する人、ランニングする人、ベビーカーを押す親子連れ、幼稚園の集団まで。森は彼らの日常そのものだった。森に入ることが、特別ではなく「いつものこと」なのだ。そんな自然体の暮らしぶりに、私は深く感動した。

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フィンランドには「自然享受権」という文化があり、国籍や所有権にかかわらず誰でも自由に森に入ることができる。森に育つベリーやキノコも、誰でも採っていい。私も偶然マッシュルームに出会い、フィンランドの自然の恵みを味わった。ブルーベリーはまだ時期が早かったけれど、代わりに飲んだブルーベリージュースの美味しさといったら!お土産にもたくさん買って帰った。

森での楽しみの一つがBBQだ。薪を割り、火をおこし、ソーセージやパンを焼く。それも日常の一コマ。印象的だったのは、その薪がなんと国から無償で提供されていること。税金が、こうした豊かな自然体験に使われているという事実に、社会の在り方の一端を垣間見た気がした。

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さらに体験したのは、フィンランド名物のスモークサウナ。100度を超える熱気の中にしばらく身を置いた後、思いきって湖にドボン!キリリと冷たい水に思わず声が出たけれど、何度か繰り返すうちに、心も体もどこか整ってくる。不思議な感覚だった。平日と休日、両方訪れてみたが、静かに過ごしたいなら断然平日がおすすめだ。芝生の上で寝転ぶ人々の姿が印象的で、誰もが自分のペースで森を楽しんでいるのが伝わってきた。

カップルも家族連れも、一人の人も。みんなそれぞれの時間を生きていた。誰にも邪魔されない、でも孤独ではない。そんな絶妙な距離感と自由さが、フィンランドの森にはあった。
森、BBQ、サウナ、湖、ハイキング。どれか一つではなく、これらがセットになって日常の中にあるのが、フィンランドという国の豊かさなのだと思う。

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この夏、私はフィンランドの森で深呼吸した。
心がふっと軽くなり、また歩き出せるような気がした。
人生で一度でも、あの森に出会えたこと。私は本当に幸運だと思う。
森に魅せられた誰かの旅のヒントになれたなら、それもまた嬉しい。