29歳。独身。実家暮らし。恋人なし。
世間で言うところの「子ども部屋おばさん」なのだと思う。
スマホを開けば、知人たちの報告が流れてくる。結婚、出産、子どものイベント、マイホーム、恋人との旅行。どれも、今の私にはまったく縁がない。

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久しぶりに友人と会えば「恋人、欲しくないの?」「家を出たいと思わないの?」と聞かれる。私の答えは、どちらもYESだ。結婚したいかは別として恋人は欲しいし、家だって出たい。
両親と特別仲がいいわけではないが、「一日でも早く家を出たい」と思うほど関係が悪いわけでもない。そんな両親からも「そろそろ出ていったら?」と、遠回しに言われるようになった。結婚については何も言われないけれど、きっと本音ではしてほしいのだろう、と感じる瞬間もある。

つまり、今の私はこの家にいるべき存在ではないのだ。少なくとも、そう思われている気がする。

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私は大学時代、実家を離れて暮らしていた。でも、就職と同時に実家に戻り、「仕事に慣れたら一人暮らしをしよう」と思っていたはずなのに、気づけばもう7年が経っていた。後輩が入ってこない会社とはいえ、さすがにもう仕事には慣れたと思う。

働いているので、毎月いくらかは実家にお金を入れている。できる範囲で家事もしているし、かつての一人暮らしに近い生活はしているつもりだ。
それでも、どこかに後ろめたさがある。

誰に対しての後ろめたさなのか、自分でもはっきりとは分からない。ただ、かつての私が思い描いていた「30歳手前の姿」とは違うからなのかもしれない。
今の自分を認めきれないということは、これまで積み重ねてきた自分自身を否定することになる気がして、余計に苦しくなる。そう考えると、今感じている後ろめたさは「過去の自分」に対するものなのかもしれない。

「実家暮らしをしている人への偏見なんて、自分にはない」と思っていたのに、恋人を探そうとマッチングアプリでプロフィールを見ると、「この年で実家暮らしか…」とスキップしてしまう自分がいる。

そんな自分に呆れるけれど、現実にそう思ってしまうのだ。さすがに特大ブーメランすぎて笑ってしまう。
きっと私は、今の自分でさえ、この状況を「良くない」と思っている。

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ちなみに、私には年の離れた姉が2人いる。どちらも大学進学と同時に家を出て、地元に戻ることなく就職し、結婚して家庭を築いている。
そんな姉たちと比べてしまって、罪悪感のようなものを抱いているのかもしれない。
あるとき3人で出かけた際、「実家に残ってくれてるから、私たちは向こうで働けているよ」「介護が必要になったら帰ってくるからね」と言われた。
正直、「何も知らないくせに、簡単に言わないで」と思った。悔しくて、涙が出た。
母方の祖父が認知症になったとき、母は家事をしながら祖父の介護のために実家にも通っていた。その姿を私は見ていたけれど、姉たちは知らない。

母のようなことを、自分にできるとは思えなくて、怖くなって泣いた夜もある。
実家にいるからこそ受けている恩恵はたくさんある。だからこそ、できることはやらなければいけないし、やるべきだと思っている。でも、それを本当に自分ができるのか、不安になってしまう。
きっと私の「後ろめたさ」は、過去や現在だけでなく、未来の自分の「弱さ」にも向けられているのかもしれない。

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私にとって今の実家暮らしは、自分の人生のどこを切り取っても、どこか後ろめたさを感じてしまうものだ。「自立しなきゃ」「このままでは、周りや過去の自分と比べて情けない」と、つい自分を責めてしまう。
たとえ身内にこの生活を感謝されたとしても、当の本人である私は、どこか納得できずにいる。

もしかしたら私は、実家暮らしであることそのものに疲れているのではなく、「こうあるべき」と繰り返し刷り込まれてきた価値観に、もうついていけないだけなのかもしれない。
そうは言っても私は今、ここにいる。誰かは肯定してくれているのだから、この暮らしが私のすべてではないけれど、この選択を恥じる必要もないはずだ。
疲れているのは、本当は私ではなくて、私たちの暮らしを勝手に測ろうとする、私の中で勝手に作り上げた“正しさ”のほうなのかもしれない。