家族を愛していても、実家が息苦しい。その理由に気づいた

私は、実家には戻れない。
家族のことは好きだし、ありがたいことに関係も良好だ。幸せに、健やかに暮らしてほしいと願っている。
けれど、私は実家には戻れない。いや正確に言えば、私は実家では暮らせないのだ。
そこにどんなに愛する母や弟たち、かわいい猫たちがいるとしても。
実家は良いところだ。
出来立てで品数も多い美味しいご飯を囲んで、他愛もない話ができる。毎日お風呂に浸かれるし、掃除はほとんどしなくていい。「生活」を人に委ねられるから、自分のやりたいことに集中できる。学生時代、深夜まで絵を描いても翌朝ちゃんと起きれていたのは、若さゆえの体力だけではないだろう。
それに私には年の離れた双子の弟がいて、これが大変かわいい。彼らが幼いころに私は実家を出てしまったから、一緒に暮らした記憶はほとんどないそうだ。ミルクを飲ませ、オムツを替え、寝かしつけをした身としてはすこし寂しいけれど、覚えていなくても姉と慕ってくれて、帰省した途端に「次はいつ来るの?ちゃんとお盆とお正月は帰ってこないとダメなんだよ!」と言ってくるのがたまらなく愛おしい。
あとかわいくてやんちゃな猫が4匹。猫がいるだけで癒される。
実家の好きなところは何時間だって話せる。私は実家や家族が嫌いなわけではない。
それでも実家で暮らせないのは、「完全に1人の時間、1人の空間」が存在しないからだ。
コロナ禍のとき、2ヶ月ほど実家に帰ったことがある。当時大学生だった私は、講義はすべてオンライン、もちろん友人と遊べるわけでもバイトをできるわけでもなく、暇を持て余していた。夏休みに差し掛かり、講義もほとんどなくなってきたころ、母からの「やることないなら帰ってくれば?家ならご飯もお風呂も出るし」というありがたい言葉に乗ることにしたのだった。
最初の1週間は楽しかった。至れり尽くせりで、天国のような場所。かわいい弟や猫たちと戯れて、昼寝もできる。最高。
そんな生活に違和感を覚えたのは、2週間を過ぎてきたころ。どうも心が落ち着かない。息苦しい。思い返せば、高校生の時も感じていたような気がする。その原因は今なら分かる。「1人きりになれないから」だ。
部屋の構造上、自分の部屋の襖の向こうに、年の近い弟の部屋があり、常に誰かの気配を感じていた。加えて、田舎すぎて車がないとどこにも行けない。そして今でも免許を持っていない私には、そのどこかに行く権利すらないのだ。
極めつけは、父の末弟に対する言動だった。父にとっては、軽いいたずらなんだと思う。それまでも何度かモヤモヤする場面はあったけれど、もう家を出た身だしと、できるだけ穏便にたしなめていた。けれど、なんどもなんども「やめて」と言う弟の足裏をくすぐるのを止めない酔っぱらいの父に、ついに堪忍袋の緒が切れてしまった。
「『やめて』って言ってるんだから辞めなよ。あなたにとってはちょっかいをかけているだけかもしれないけれど、末弟にとっては辞めてほしいことなんだよ。あなた普段それを子供たちに教えてるんじゃないの?」
そう、父は教員なのだ。泣きながら訴えても変わらない父に、私は部屋を飛び出した。
きっと、私は他人とは暮らせないんだ。どんなに恵まれた環境でも、許せない部分がきっと出てきてしまうから。
気付いてしまったらもう、関東での一人暮らしの自由さが恋しくてたまらなかった。ご飯は作らないと食べれないし、節約のためにお風呂には毎日浸かれない。けれど誰にも邪魔をされることなく好きなことができるし、電車1本でどこにだって行ける。自分しかいないから、人間関係で悩むこともない。実家での生活に感謝しつつも、自分だけの城に戻れる日を指折り数えて過ごした。
「思う存分一人暮らしを謳歌してやろう」。そう決意して社会人になり、数年間は気ままな一人暮らしを楽しんだ。1人きりの空間は自由で、もうずっとこのままでもいいなとすら思う。自由には責任が伴うけれど、その責任すら心地よかった。
しかし、人生は何が起こるか分からないもの。絶対に他人とは暮らせないと思っていた私が、気付けばパートナーの家に入り浸るようになっていた。嫌々ではなく、望んで。なんだかとても落ち着けるのだ。もちろんたまに不満も出るが、お互いに言い合える関係ということもあって、大ゲンカには至らなかった。
月日が経ってパートナーの家の更新時期が近づき、自然と同棲の話が持ち上がる。なんの障害もなく話し合いが進んでいく中で、気付いた。
私は他人と暮らせないんじゃない。自分の心地よいペースが乱されるのが嫌なんだ。
時間の使い方や休日の過ごし方、笑いのツボ、許せないこと。自分にとって大切な価値観がズレてただけだったんだ。
家族は好き。だけど一緒には暮らせない。
私は無理をして実家に帰るのを辞めた。年に1回、3日程度にしている。その代わりと言うわけではないと思うが、逆に家族の方から旅行がてら会いに来てくれることが増えた。観光地を案内しながらでも、とりとめのない会話ができることを知った。
好きでいつづけるためには、適切な距離感がある。実家暮らしが苦手だからといって、必ずしも他人と暮らせないというわけではない。人にはそれぞれ、自分だけの心地よさがあるだけだ。
Youtubeを見ながら晩酌をしているパートナーの横顔を覗いて、考える。「この夏、地元のお祭りに参加しない?」と提案してみよう。この人となら、実家での暮らしも楽しめるかもしれない。
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