東京に来てから、生きるって辛いと思うことがよくある。
実家にいたころは、帰宅すれば母がココアを淹れて待っていてくれて、下着も洗濯機に投げておけば、母が回してくれていた。ぼーっと過ごしていてもご飯が出てきて、リビングはきれいに保たれていた。

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上京して最初の1か月は頑張ろうと思って、料理も洗濯も楽しみながらできた。
問題は2か月目以降。コロナ禍もあって、部屋に閉じ込められた私は、生きるためのタスクに囲まれていた。コロナ禍でも遊び惚ける友達に反感を抱きながら、自分はばかまじめに何をしているんだろうと思った。
彼女たちは街中に遊びに行って、帰れば夜ご飯が用意されている。私の生活と真逆じゃないか。こんなに暗い一人暮らしなんてイメージと違った。大学の授業もオンラインなので、5分前に起きてすっぴんにパジャマで授業を受けて、でも途中で眠って。これが大学生なのかと頭痛がするほど悩み続けた。

そんな生活に変化を求めて、後ろめたい気持ちを抱かずに街に出るため、6月からバイトを始めた。嫌味な客や新人いびりばかりのパートのおばちゃんたちに囲まれて、家に着くのは22時。
寮の共用のお風呂まで、足を引きずりながら進む。暗い廊下、遠くから聞こえるサイレンの音。山も海も見えない下町。東北の実家では出なかったゴキブリ。
ご飯も作らず、脱いだ服は散らかったまま、部屋にはごみもほこりも溜まって、ベッドから一度も起き上がらない日もあった。気づいたら私は何もかもを放棄していた。
今思えば、うつの状態だったのかもしれない。

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そんな生活の中、母から届いた宅配便。
月に1度くらいの頻度で冷凍したハンバーグやてんぷらを送ってくれる。自分では買わないお菓子や、おすすめの本も送ってくれたことがあった。
そしていつも添え書きで「たくさんお食べ~」と書かれている。母のいたずらな笑顔が思い出される。

地元の家族と親戚を置いて東京へ来たことに、多少の後ろめたさを感じていた3月。遠くへ行く私を心配して、何度も寂しそうな顔を見せる祖父に胸を張って「子どもたちが夢を見つけてこの家を出て行って、自立してくれるのが私の自慢よ」と母が言ったのを思い出した。

ああ何をしているんだろう。
私は生きるためのタスクが山積みの部屋を見渡して、ため息が出た。
それと同時にベッドから起き上がって、ひとつひとつ崩し始めた。

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私のやる気が出ないとき。それは月に1度やそれ以上の頻度でやってきて、それは他人より程度のひどいものかもしれないが、母がくれる贈り物が私を復活させてくれる。
毎度涙を目にためながら段ボールを開ける。付箋に書かれたメッセージを見たらもう決壊。地元に残してきた猫と祖父母の顔も浮かんで、もっとちゃんとしようと私を奮い立たせてくれる。

きっと毎日ファストフードを食べても、お菓子を食事としても生きてはいけるけれど、私の健康や幸せを願ってくれる人がいるのだから、自分を蔑ろにしてはいけないとわかっている。それなのに忙しい日々の中で、そんな存在がいることを忘れてしまって惰性で生きてしまう。その日々の中で届く母からの贈り物は、私が愛されていることをも自覚させてくれる。
私はいつまでも完全な自立できないのかもしれない。それでも学生の私が今できる最大限の自立なのだと思う。私は母からの贈り物を抱えて、この最大限を続けていきたい。