スマホの中に「何か」を探しても何も見つからない。そう気づいた私は

現代はドーパミン過剰社会といってもいいほどに、刺激で溢れている。街へ出ても音楽が鳴り、感情を煽るような広告がぶら下がっている。
子供からお年寄りまでみんなが手にしているスマートフォンの中には、悪魔が欲望の渦へと手招きしているように依存を招くアプリや、アルゴリズムの妙がたくさん詰まっている。
SNSはその筆頭格と言ってもいいだろう。誰がどういう思想を持ち、どんな生活をし、誰と会っているかまで把握できる。本来ならば摂取しなくても生きていけるはずの情報を脳に詰め、脳の選択回数を増やし、限りある時間を無駄にしてしまう。
私は現在27歳で、スマホを手にしたのは高1の頃だった。もう10年以上、この小さな端末と人生を共にしているらしい。授業の合間にスマホ、友達と話している時にスマホ、電車の往復はSNSと音楽、ゲームに費やした。
とにかく高校生活というよりもスマホ生活と言った方が良いくらい、スマホ依存症だった。当然勉強なんか身に入らなかった。
その前からデジタル依存の傾向はあったと思う。テレビをはじめ、小学校低学年の頃から父のパソコンを触っていて、脳内メーカーに氏名を入力してHだらけの自分の脳内に爆笑したりしていた。しかし、パソコンは私たちにある程度の行動を強いる。パソコンがある場所まで移動しなければならないし、いつでもどこでもというわけにはいかない。ノート型なら、開くという作業もある。フリックではなくキーボードを叩いて両手指を動かさないといけない。
スマホの恐ろしいところは、いつでもどこでも片手で操作可能というお手軽さである。行動を忘れさせ、短時間で気持ちよくなれてしまう。この悪魔的なお手軽さにより、努力が必要なことや困難を乗り越える力を失ってしまうのだろう。
導入が長くなってしまった。私は長年のSNS&スマホ依存症で、とにかくスマホに時間を割いてきた。前髪をチェックするのも鏡でなく内カメ、スクリーンタイム8時間は当たり前。
そんな私がなぜスマホを遠ざけようと思ったかというと、誕生日を迎えて危機を感じたからである。27歳にもなってスマホの中に「何か」を求めて、感情や判断を左右されるのは大人としてちょっとやばいんじゃないかと思ったのだ。
8月に入ってすぐYouTube、X、Instagram、ゲームなどの報酬系を刺激しそうなアプリを削除した。ハードロックが好きだが、音楽を聴くことも禁じた。
スマホの中に「何か」を探しても、何も見つからない。いつでも探しているよ、こんなとこにいるはずもないのに。
最初の数時間は何度もスマホを開いた。しかし、つまらなくなってしまった私のホーム画面を見て諦めた脳は、ドーパミンを出すためにいつもと違った行動をし始めた。
断捨離である。古いパンダのぬいぐるみ、教科書、着なくなった洋服、ガラクタなどをゴミ袋に次々に入れていくと、とっても気持ちが良くなった。ドーパミンは使い方次第で、良い方にも悪い方にも傾く。
そして次に出た行動は、積読の消化。読みかけの小説、童話などを普段よりスラスラと読めるようになった。これまた気持ちいい。
私は書き物をする時、カウントメモアプリを使う。そのためそういう時は仕方なくスマホを触るが、今までのように快楽を求めて使用しているわけではない。でも、書き物も楽しくて快感に思ってしまうから結構な量のドーパミンが出ているのかもしれない。
あと、スマホを置いて散歩に出かけた。すると川沿いに鴨の群れがいたり、鳩のお食事会に遭遇したり、他所の家から生活音が聞こえたりなど普段なら音楽に夢中になっていて気が付かないようなことに自然と意識が向いた。
スマホを極力使わないようにした結果、全然生きていけると思った。むしろ穏やかになって、自分の好きだったことを思い出せるようになった。昔の人は狭い範囲で生きていたし、知らないことがあっても別に恥ずかしいことではなかったのだから、これが人間本来のキャパシティなのではないかと感じた。
全知全能を目指しているわけでもあるまいし、自分の人生に大切なことの優先順位をつけるいいきっかけになったと思う。
私の場合家族や恋人、友人、読書、美容や食事など身の回りのことを大事にしたかったはずが、最近は遠い世界のことまで考えすぎて意固地になっていた。
実は大切なことはシンプルで、昔から変わらないことなのかもしれない。何事にも熱中しやすいタイプの人は、スマホではなく何か他の対象を見つけられたら、とても有意義な人生を送れるはずだと思う。続くか続かないかは分からないが、意識して継続したい習慣だ。
もしあなたも画面の中に探し物をしているなら、一度だけ手を止めてみてほしい。目の前の景色に、本当に求めていたものが見つかるかもしれない。
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