高校3年生の夏休み。体育祭に、すべてを捧げた。

受験勉強はおまけ程度で、それで良いと、それが正しいと思っていた。
チームで何かに向けて準備するのが好きだったし、これぞ青春、と思っていたから。

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大人なのか子どもなのかはわからないけど、体育祭を選んだからには、それを後悔することだけはないようにと思っていたし、もう一回あの夏に戻ったら同じ選択をする自信はある。
とはいえ、冷静になって振り返ると、度を越していたとは思うし、自分だけ浮いていたんじゃないかとも思う。単発の思い出にはなったけど、優勝できずこれといった結果も出なかったし、何かに繋がったわけじゃなかった。

象徴的だった夏休みの会話がある。私と同様に体育祭に全振りしていた友人と、「体育祭の優勝と、大学受験での第一志望合格なら、体育祭優勝を選ぶよ」と話した。私も友人も、本気でそう考えていた。

まさに、若気の至りだった。
黒歴史、というか、存在したのかどうかすら怪しい、無色透明の歴史になりつつあったあの夏。

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8年後、同窓会にて。

久しぶりに再会したとある男子に、私のことを覚えているか尋ねた。彼は体育祭で同じチームで、ひと夏を美術室で共に過ごした。私はもともと人よりも記憶力が良いので当然彼を覚えていたが、彼が私を覚えているかは自信がなかった。彼にとっての体育祭が、過去の些細な出来事に成り下がっていても不思議はないからだ。けれども、彼は言った。

「お前のことを忘れたら俺は記憶喪失だよ。あんなに濃い夏はもうないから」

そして付け加えた。

「だって夏休みの体育祭準備で皆勤賞だったの、俺らふたりだけだったじゃん」

記憶力には自信があったのに、体育祭準備に皆勤賞という概念があったことは、すっかり抜けていた。

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社会人になって、会社にも皆勤賞という制度があり、私はそれに固執した。周りが面白がるくらいに、体調が悪い時も迷わず出社し、遅刻しそうなときはタクシー出社をしてまで皆勤賞を貫いた。自分でもどうしてここまで皆勤賞にこだわるのかわかっていなかったけど、もしかしたら、皆勤賞という言葉に自然と青春の響きを感じてたのかもしれない。

もうひとり、同じチームだった男子からはこう言われた。

「体育祭終わってから、はやがいつも自習室の見える席にいたから、俺もちゃんと勉強しなきゃって思って、気が抜けかったよ。体育祭も頑張った同志がいたから、帰りたくても帰れなかった」

結局、前述のように体育祭は優勝できず、私もチームの多くの仲間も受験では第一志望には届かず、二兎を逃した。目に見える結果は得られなかった。

でも、あの夏の記憶は、たしかに今でも私たちに根付いているんだ。
同時に、「色んな選択があるよね」「みんな違ってみんな良いよね」そんな表面を撫でるだけの一言で片付けられる夏じゃなかったことを思い知った。高3の自分の行動が、他の人にも影響を与えてたんだ。

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黒色でも、透明でもない、あの夏の色。
私の高3の夏は、眩しい向日葵のような黄色だ。
そんな夏を経験出来たことに感謝したい。