中学のとき、半年も経たずにバレー部を辞めた。私はその後、スポーツと近いところに居ない。

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辞めた理由は、単純と言えば単純だし、複雑と言えば複雑だった。少人数の学校だったから、生徒は強制的に部活に入部しろと言われていて、4つ(テニス、野球、弓道、バレー)しかない中から消去法でバレー部を選んだのがそもそもの間違いだ。

先に音を上げたのは母だった。少人数が故に、土日に練習試合をやろうもんなら朝早くに親も駆り出され、お昼ご飯の準備から場所確保、試合の準備までさせられる。子どもだけでは行けない地域にまで足を伸ばして試合をやろうとする熱血なチームだったもので、消去法で入った私は早速取り残された。

私の両親は農家をしている。農業においては土日祝なんぞ関係なく仕事があり、晴れても雨が降ってもやるべきことがある。周りが会社員の親ばかりの中で、うちの両親は土日の試合や練習試合に参加することが難しく、それでも何とか時間を作って手伝いに来てくれていた。

しかし、それを許さない親が珍しく顔を出した私の母を責め、母はブチ切れた。安心してほしい、私の母は強いので心がポッキリ折れるなんてことはない。ただ、親が介入しなければ成り立たない&そんな状況でも高みを目指す熱血なバレー部に辟易したらしいのだ。

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「部活辞めてくれんか」と切り出した母に、私は喜んで賛同した。元から勝利しか見えていないチームのテンションに私も嫌気が差していたのだ。そうして私の運動部人生は5ヶ月で幕を閉じた。

今でも不思議なのだが、人はなぜ勝利に拘るのだろう。バレー部のみんなが悪いとは決して思わない。純粋にバレーが好きな人たちだった。そんな彼女らに私が、私の気持ちだけがついていけなかった。

思えば運動会も陸上競技会もテレビ中継されるオリンピックも、私は興奮したことがない。勝っても負けても泣いたことがない。悔し涙を流せる人が羨ましい。どうしてそこまで熱くなれるのか、教えてほしい。

中学のときの体育祭で思わず、「体育祭なんて無くてよくね?」と呟いてしまったとき、近くにいたクラスメイトの親が笑いながら言った。

「私の子なんかは勉強が苦手だから、体育祭がないと一位になれないのよ」

なるほど、と素直に思った。そのクラスメイトは本当に足が速くて、今はスポーツ関係の仕事をしている。彼を支えていたのは、私が無意味だと思っていた体育祭や記録会だったりするのかもしれない。

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WBCも見ていない私は、日本が湧き上がった優勝の瞬間を知らない。人伝に優勝したことを聞いたが「へぇ」としか言えなかった。あまりの無関心さにちょっと怒られた。

スポーツ観戦をする人に問いたい。どうして他人の勝利で喜べるのか。命を賭けているわけでも、勝てば手元に金品が溢れるわけでもない。私は呪術廻戦にはハマったのにハイキューにはハマれない。

実は私だってバレー自体は好きだったから、みんなと同じように勝ちに喜んで、負けに悔しがることがしたかった。大人になってより一層、そういう新鮮な一喜一憂が縁遠いものになったからこそ、劇場版ハイキューを見に行って「泣いた」とインスタのストーリーにあげている子を見ると、嫉妬する。私は一体、いつになれば半年も経たずに辞めてしまったバレー部のことを後悔できるのだろう。