ひとり旅で出会った夏の景色。越後妻有で見つけた孤独は心地よかった

わたしはひとり旅が好きだ。といっても、年に何回もひとり旅を目的に出かけるようなことはできない。たまたまひとりで遠出をしたときに「やっぱりいいな」と思うくらい。
わたしのはじめてのひとり旅は、大学4年生の夏休みのことだった。
あれは2015年の夏。今からちょうど10年前だ。わたしは「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に行くため、新潟へ向かった。3年に一度開催される国際芸術祭を「トリエンナーレ」と呼ぶ。「越後妻有」とは、新潟県の十日町市・津南町地域のことだ。
その年は、ちょうど6回目の開催年だった。大学の卒業論文で「大地の芸術祭」について取り上げるつもりだったので、これは行くしかないと思った。それまでろくにひとりで遠出をしたこともなかった。友人との旅行すらなく、家族旅行しか経験がない。そんななか決意した突然のひとり旅。
新幹線にひとりで乗ったこともなかったわたしは、乗車券と特急券の2種類の切符が必要なことも知らなかった。慣れない東京駅で散々迷子になりながら、やっと改札にたどり着いたと思ったら通れない……。涙目。駅員さんが親切に特急券の買い方を教えてくれたので、なんとか乗車予定の新幹線には間に合った。
越後湯沢駅で在来線に乗り換え、十日町へ。越後妻有の地に降り立って、最初に感じたのは「眩しさ」だった。山も森も田んぼも緑が濃く、空の青とのコントラストが強い。東京よりも“夏の色”が濃厚だった。
「大地の芸術祭」では、美術館などの拠点となる場所もあるが、里山に点在している作品を見て回るのが基本スタイル。バスに乗って作品に近いバス停まで行き、そこからさらに田んぼに囲まれた道や、森のなかを黙々と歩いた。
特に行きたかったのは『最後の教室』。廃校となった小学校を丸々使って、「人間の不在」を表現した作品だ。暗い体育館の中に藁が敷き詰められ、何台もの扇風機が置かれていた。天井からは電球が無数に吊され熱い光を放っていた。
たまたまほかの訪問者がいない時間だった。耳に入るのは扇風機が回る音と、足下の藁を踏む音だけ。蒸し暑い空気の中で、じっと暗闇を見ていると、自分がどこに立っているのかわからなくなる。暗闇に溶けてしまいそうだった。
校舎の中をすべて見て回って外に出た。日差しの下でバスを待ちながらふと見渡すと、越後妻有に着いたときと同じ“夏の色”に囲まれていた。暗い体育館とは対照的な景色。夏が鮮やかすぎて、自分の輪郭がぼやけてしまう気がした。
「ひとりで来れてよかった」と心の底から思った。これはきっと、誰かと「あの作品どうだった?」などとすぐ言葉を交わしていたら、味わえなかった感覚だから。ひとりで知らない場所に行く不安はあったけれど、孤独そのものは気持ちよかった。たぶん、自分で選んだ孤独だから。わたしは、自分の意思で選んだ「ひとり」を満喫していた。
このまま新潟の夏に溶けてしまうのも悪くない、などと考えていたところに、バスが到着した。涼しい車内には運転手さんと数人の乗客。わたしのぼやけていた輪郭があっという間に人の形に戻った。
もちろん、地元の人や芸術祭を訪れた人との交流など、人との出会いもたくさん楽しんだ。一方で、見知らぬ土地でひとりになる魅力にも気づいてしまった。そんな大学生最後の夏を終えて、東京に戻ったわたしは、無事に卒業論文を書き終えた。
あれから10年。ひとりになりたいと思ったその時に、ふらりと旅に出かけられる人生……には残念ながらほど遠い。今はそんな生き方に近づくためにがんばっているところ。何度でもあの夏を思い出し、あの日のような旅を夢見ながら生きていく。
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