2019年4月30日の晩、ニュース番組は元号が遂に令和に変わるという話題で持ち切りだった。時代の節目を祝おうと居酒屋でビールジョッキ片手に仲間と騒ぐ人々を、町田のビジネスホテルでひとり、画面越しに見ていた。

自宅から箱根まで徒歩3日、由比正雪の聖地巡礼を企てた

平成最後の1月、慶安太平記という古典講談の通し公演を観に行った。由比正雪という人物の生涯を描いた作品なのだが、人生をかけて幕府転覆を企てた生き様と覚悟に大変胸を打たれた。

作中の宇都谷峠という話に、正雪とは別の人物ではあるが、浅草から箱根の関所を通り京都にある知恩院まで歩くくだりがある。
23区北側在住だった私はそれに影響を受け、途中の箱根までなら歩けるのではないかと考えて聖地巡礼を思い立った。大型連休を利用し、自宅から箱根まで3日かけて歩いてから、正雪の出生地である静岡県清水市由比まで行くことにした。

箱根に行くまでの徒歩区間は町田と小田原にホテルをとり、カーラジオのようにイヤホンからFMを流しながら、1日あたり40kmペースで歩いた。
ほぼ休憩なしで歩き続けるかなりハードな試みになることは明白だったので、誰かを誘うという発想はなかった。平成が終わるという話題も、個人的にはどうでもよかった。

足は悲鳴をあげ、残り数メートルが遠く果てしない距離に感じられる

町田を後にして2日目、令和元日ということもあってかラジオでは特番が組まれていた。世間の浮かれムードに少々ウンザリしながら、ひたすら歩き続けた。
町田から大和、綾瀬、藤沢を抜けて平塚へ入り、歩けども歩けども辿り着かない私を嘲笑うかのように、東海道線が何本も追い越していった。
大磯辺りで雨が降り出し、ホテルまで残り15kmにして足は既に悲鳴をあげていた。なんとか残り200m、100m、50mになっても、その数メートルがそれまで歩いてきた約40kmと同じくらい、遠く果てしない距離に感じられた。

小田原で起床後、なおも痛む足に湿布を貼り、箱根登山鉄道を横目に見ながら東海道に沿って箱根湯本駅へと歩を進める。
観光地ということもあって、さすがにこれまでと比べて人通りが多いなと思いながら、やっと「箱根町」という道路標識が見えた時には感激した。
箱根湯本駅から関所と由比へはバスと電車で向かった。計100km歩いた直後の3日ぶりの交通機関である。

由比の宿に着いた頃には陽が落ちていた。名産品づくしの夕食を堪能し、部屋で身体を休める。バストイレ無しで外側から鍵をかけられない構造の和室だが、その質素な作りがまた江戸時代のような情緒を感じられて、古典の聖地巡礼としては嬉しかった。

自分と一番気が合うのは自分。おばちゃんの言葉にハッとした

翌日、街歩きをしていると「正雪もなか」という看板を見かけ、ふらっと足を踏み入れた。
入ってすぐのショーケースには、ちびまる子ちゃんの作者で清水市出身であるさくらももこ先生の色紙や、地域の小学生たちが作ったと思われるお店の商品紹介が飾ってあり、小さいながら長く地域から愛されている印象を受けた。

お店のおばちゃんと少々話し込んだ。ちょうど私と同世代のお孫さんがいて、友達と箱根方面へ遊びに行くこともあるそうだ。
なんとなく少し苦笑いで一人旅であることを伝えると、「それが一番よ、結局自分と一番気が合うのは自分だもの」という言葉が返ってきた。
予想外の反応にハッとした。思えば、ひとりで何かをすることに対して、ここまで肯定されたことはなかったかもしれない。心の中にずっと立ち込めていた霧が突然晴れたような気がした。

大多数が令和という新時代の幕開けを喜ぶ中、誰と祝うでもなく連日ただ歩き続けることに対して、全く引け目を感じていなかったかと言われれば嘘になる。また、これまでも思い立ってひとりで遠出することはあったが、友達がいないのかと蔑むような声を幾度も聞いてきた。
しかし、そんなことは関係なかったのだ。
私は自分自身を楽しませるために自分の時間を使おうと、この旅をしていた。情報社会の雑踏の中で忘れかけていた目的を、店先でのその一言が思い出させてくれた。

自分だけの記憶を見つけに行くひとり旅は、贅沢な時間の過ごし方

ひとりでは家族旅行や卒業旅行と違って大切な仲間と思い出を共有することはできない。そこで起きた出来事や抱いた感情は私だけのもので、私が忘れてしまえばなかったことになってしまう脆く儚い思い出だ。
それでも、あの時の東海道の景色もバスや電車の速さも、目的地に向けてひたすら歩き続けるつらさも、その全てを今なお鮮明に覚えている。

ひとりだからこそ生まれる会話や発見というものはある。
これまでは少しの電車遅延で苛立っていたものだった。足にできたまめは歩いてきた距離の長さを物語っていた。偶然立ち寄った店先で素敵な出会いがあった。
そんな自分だけの記憶を見つけに行く旅というのも、それはそれで贅沢な時間の過ごし方ではないだろうか。そこで得た体験は、誰かと行く旅とは異なる形で、自分だけの宝物になってくれるはずだ。