最後に、たくさん汗をかいた日はいつだっただろうか。

大人になってからというもの、思いっきり体を動かすことは少なくなった。むしろ汗をかかないように服装や移動手段、スケジュールまで調整しているくらいだ。だから、「たくさん汗をかいた日」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは、やっぱり学生時代のことになる。

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中高生の頃、私の学校では合唱コンクールと体育祭の練習が一学期にまとめて行われていた。毎年のようにこのふたつの行事が立て続けにやってくるから、準備期間はとにかく慌ただしくて、今振り返っても息切れしそうなほどだ。

なかでも私は、合唱コンクールに特別な思い入れがあった。学校の聖歌隊に所属していたこともあり、毎年のようにパートリーダーを任されていた。審査員は音楽大学の先生や、プロの演奏家として活動している卒業生たち。本気の空気が張りつめる中で、慣れないリーダーとして必死に声を張り、パートのみんなをまとめていた。

今思えば、同級生に申し訳ないと思うほど厳しくしていたこともある。でも、それくらい必死だった。毎日のように教室や音楽室で、時には音がよく響くからと聖堂や階段の踊り場でも練習した。来る日も来る日も歌って、耳を澄ませて、音を探して、何度も何度も合わせた。

合唱コンクールはクラス対抗。学年関係なく、優勝を本気で狙いにいく。曲選びの段階からすでに戦いは始まっていて、歌詞の意味を読み解き、曲の背景を調べ、どんな感情を音に乗せるかを話し合った。録音しては聴き返し、録画しては細かく確認して、他のクラスと聴き比べることもあった。一曲が完成するまでのプロセスは、まるでみんなで呼吸を合わせて走るマラソンのようだった。

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そんな熱気のなか、体育祭で披露するダンスの練習も並行して行われる。朝練、20分休み、昼休み。気づけば、1日に3回の練習が当たり前になっていた。朝は教室で合唱、20分休みと昼休みは運動場でフォーメーションの確認。水色のワンピースの制服が、汗で背中に張りついていたのを今でも鮮明に覚えている。

「暑すぎるやん!」と笑いながら文句を言い合って、それでもみんなで踊っていた。真っ白な日差しの下、全員が汗だくで、だけどまっすぐに前を向いていた。

歌って、踊って、汗まみれだったけれど、ただ暑かったわけじゃない。

それは、誰かと向き合いながら、ひとつのものを作り上げようとした日々だった。うまくいかないことばかりで、悔しくて、泣きたくて、それでも前を向きたくて。
私にとって、あの頃の汗は、努力と本気の結晶だったと思う。

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今の私は、あんなふうに汗をかくことはもう滅多にない。けれど、あのとき流した汗は、心よりも身体がよく覚えている。汗ばんだ制服の感触も、練習のあとの息切れも、声が枯れる寸前まで歌ったあの感覚も。

忘れられない。きっと一生忘れない。
たくさん汗をかいたあの季節は、今でも私のなかで光っている。