推し活の果てに社会人留学。一年の中国生活で得た様々な視点

壮大すぎる推し活の果てに、留学を決めて日本を飛び出した人間がいる。それが私だ。
かがみよかがみにて初めて投稿したエッセイでもふれた中国アニメ作品「羅小黒戦記」。この作品に出会い、仕事の傍ら中国語の勉強を再開し、そして中国へと旅立った。今まで「日本のアニメが好きで日本語を勉強し、日本へ留学している」という外国人には出会ってきたが、まさに彼らと同じような動機で留学をしたのだ。かつては「好きな作品のためにそこまでするなんてすごいな」と思っていたのだが、そこまでしたくなる気持ちを私も感じてしまったのである。
一年間中国で生活してみて、彼らの気持ちが痛いほどにわかった。街を歩けばグッズに出会い、現地でのイベントにも行くことができ、作中で見た日常生活が目の前で繰り広げられている。楽しくて、面白くて、不思議な感じだった。好きなものと隣り合わせの生活は、勉強のモチベーションも上げてくれるし、心の支えにもなる。好きという感情は何にも負けないパワーになり、どんな困難も乗り越えさせてくれるお守りになるのだ。
好きという気持ちを原動力に日々を過ごしていたが、それ以上に様々なことを考えた。例えば社会人という立場で留学することについてだ。社会人で仕事をやめて留学するとなれば、日本では一大決心のように思われる。キャリアを一旦途絶えさせてしまうからだ。しかし、海外に出てみると案外そうでもないのである。ルームメイトはたまたま同じくらいの年齢だったし、私よりも年上の留学生もいた。多くの日本人留学生のように将来のキャリアのためだけではなく、ただ好きだから学びに来てそのまま二年ほど居着いてしまった留学生もいた。その自由さが私には眩しかった。
クラスメイトの国籍は想像以上の多様さで、キャンパス自体が世界地図のように感じられた。私のクラスは中央アジアからの留学生が多く、クラス内でロシア語が飛び交っていたのは少し面白かった。他にもウクライナ人やエジプト人と国際情勢について話し、日本のメディアだけでは知り得ないような現地の事情を聞いたりもした。
また、社会人留学のメリットについても考えた。日本人留学生の大半は大学生で、私が社会人であることを明かせば当然就活の相談を受けたものだ。私自身上手くやってこれた方ではないので困ったものだが、今の学生たちが抱える不安や価値観などを聞くいい機会になった。そうするうちに、企業の採用担当者と就活をする学生の間で考え方のすれ違いや隔たりがあるのではないかと考えた。特にコロナ禍の厳しい制限の中で学生時代を過ごした世代と彼らより上の世代では、ジェネレーションギャップと一言では片づけられないような、明らかに違う何かがあると感じた。この“何か”を見逃したり放置したりせずに、アップデートしていく必要があるのではないかと思った。社会人になると自分より上の世代と接する機会のほうが多く、下の世代と対等に話す機会はなかなかない。社会の課題を考える一つの手段としての社会人留学というものをどうにか広められないものか、社会人留学にもっと寛容な社会にするにはどうすればいいのか。そんなことを考えながら帰国した。
推し活が高じて決めた語学留学だったが、語学力以外にも得たものは多い。多国籍な友人関係のみならず、日本社会や国際情勢に対する俯瞰的かつ多角的な気づきを得られたことは大きい。博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。好きなものから学びを得て、好きなものを好きで居続けるために、広く学び世界や身近な問題について考えることは決して辞めたくはないと思った。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
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