私は大学に入学してすぐ、中国からの留学生と友達になった。
オリエンテーションで偶然隣の席に座ったことがきっかけだった。その子の紹介で5人の中国人留学生と友達になった。

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放課後みんなで中華料理店へ行った。
みんな盛り上がって中国語で話し始めて何を話しているんだろうとぼんやり眺めていた。日本にいるはずなのに中国に留学に来たような不思議な感覚だった。するとひとりの青年が「日本語で話そうよ」と言ってくれて、私も会話に入れてくれた。
嬉しかった。

その日の帰り、中国語での「またね」という意味の言葉を教えてもらって、「再見」と言って笑顔で別れた。

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部活動紹介は彼らと見て回った。
色んな部活を見た。私一人じゃ見なかったであろう部活についてもお話を聞けて楽しかった。

親戚も友達もいない土地で一人暮らしを始めて不安だったけれど、彼らと友達になれたことで、自分の世界が広がった気がして希望を持つことができた。

授業終わりに偶然その青年と会うことがあった。なんてことない他愛もない話をした。
どんな話の流れだったか、ふと青年は「中国と日本はお互いに誤解しているから、僕らがお互いの望遠鏡になろう」と言った。

びっくりした。心に心地よい風が吹いた気がした。たしかにその通りだと思った。
私は中国を誤解していたのかもしれない。
彼らは、普通の大学生で私たちとなんら変わらなくて、そして心優しくて、一緒にいると楽しくて…

「すごくいいね!望遠鏡になろう!」

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それから私は中国語を勉強するようになった。

しかしコロナ禍になって大学はオンライン化。
課題は一気に増え、1日中ひとりで自宅で課題に向き合う日々が続いた。
彼らとは学年も専攻も違ったから、話す機会も会う機会も無くなってすっかり疎遠になってしまった。実家に戻った子も多かったらしい。悲しいし寂しいけれど、あの言葉を思い出して、社会人になった今も中国語を勉強している。

お互いの誤解を解くために。
望遠鏡になるために。

この小さな交流が、国同士の戦争を止めることができるかもしれない。
彼らの国と友達でい続けることにつながるかもしれないから。

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今の職場では、観光客の話になることがあって、「中国人が増えて嫌だ」と話す人がいる。
“中国人”について悪いイメージで話す人が一定数いるが、私も彼らに出会う前は、中国ってなんだか怖いイメージがあった。話し方が強いからというのもあるかもしれない。

でも言葉が強いのは、「雨」と「飴」のように同じ発音でイントネーションが異なるものが4種類くらいあってそれの違いを表すためであって、怒っているわけでも責めているわけでもない。

そんなふうに中国語や文化を学ぶだけで、知ることができることもある。
中国語はもちろん、他の色んな言語も学んで、他国について知っていけたらと思う。
日本に住んで日本人と過ごすだけでは気づけないことがある。
言葉も文化も違うけれど、同じ人間であることに変わりはない。
お互いを知ること。
それが平和への第一歩になるはずだから。