小さなクラスには世界が詰まっていた。3年のアメリカ生活で得られたもの

自らの意志で世界に羽ばたこうと思ったわけではないという意味では留学ではないのだろうと思うが、幼少期にカリフォルニアに親の帯同で暮らす機会があった。
少し先も想像することもなかった小学校高学年。今の生活から違うステップに行く自分は同級生と違う何者かになれるのではないか、という好奇心だけを胸に飛行機に乗った。ハローくらいしか言えないような状況で、一人で一日を過ごす必要があるという当たり前の事実に気付いたのは現地の学校に放り込まれる3日前くらい。突如襲ってきた不安は当日現実のものとなり、初日は学校が終わる夕方まで席に座るという形だけは保ったが、迎えに来た母親の車に乗った瞬間に「明日はもう学校に行かない」と大泣きしたことだけは覚えている。
そこから半年強くらいは授業で何が行われているかもわからず、何度も泣きそうになりながら、なぜか会話が成り立たないはずの私に永遠に話しかけてくる隣の席のクラスメートなどとの日々を過ごした。一つ上の学年に上がるころに徐々に理解できる内容が増え、それに比例して学校生活も楽しくなってきた。最後は中学校に通うことになったが、授業ごとに教室移動し、各自支給されたロッカーから教材を取るついでに友人と他愛もないやり取りをするような、海外ドラマに出てくるような生活を謳歌し、「日本に帰りたくない」と大泣きしながら日本に帰ってきた。
自分と同じように他国から親の都合で来ている子や、見た目はアジア系だが、生まれた時から米国育ちというような中華系三世の子など、小さなクラスに世界が詰まっているような空間が大好きだった。
特に中学のクラスメートはクラス全体が仲良く、ランチを皆で食べたり、誕生日会に皆誘ったりしたことが今振り返っても尊い時間だった。というのも、大体日本人なら日本人、インド人ならインド人と、自由時間を人種コミュニティで過ごすことが多かった。似たようなバックグラウンドを持っていたほうがコミュニケーションも楽だからだと思うが、もったいないと思った私が皆に声をかけた結果、好意的に集まってくれてそれが定着した。
誕生日会で謎のスパイシーなインドカレーでむせたり、土曜からのお泊り会だったからと日曜朝に教会に連れていってもらったり、多感な時期に、文字通り多種多様な経験をすることができた。
もちろん、クラスの皆が全員と仲が良いというのは難しかった。それでもある時、一人の友人が「私はあの子が苦手だけど、あなたがあの子を好きならそれでも良い。私はあなたが好きだから一緒にいる」と言ってくれたことは未だに鮮明に覚えている。
日本では自分が苦手な人や物を好きな人とは仲良くなれないというような人間関係のこじれ方が多かった気がする。友人のその言葉は、至極当たり前のことのようで、私にとっては新鮮な価値観だった。自分にはない相手のバックグラウンドや価値観を尊重し、自分の世界に無理に引き込むことなく、関係性を構築する。3年間の海外生活で一番の学びはこれだったといっても過言ではないと思う。
このような経験を経て、日本に帰ってきた私はさぞ不思議な存在だったかもしれない。
日本の学校らしく、グループのようなものはあったが、もっと一緒にいたい人ができれば別のところに行ってもいいし、孤立しそうになれば自分と友人のグループに来ればいい。そんな考えでいたので、グループと言いつつ、人の出入りがそれなりにあり、常に新しい出来事や出会いがあった。
言語の壁を乗り越えるという痛みと乗り越えた先の一生ものの人格形成。今振り返っても今の自分は当時の経験がないと存在しない、そう思わせてくれるのが私にとっての「留学」だ。
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