「ちゃんとする」というのは、どうも難しい。

子どもの頃から「ちゃんとして」、「しっかりして」、「みっともないことはしないで」と言われてきた。
親や周りからの期待に応えるように、どうにかしっかりした子供を演じてきたつもりだ。
服装も、「ちゃんとした」服を着るようにしていた。
周りから浮かないように、地味な色ばかりを選んで。

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容姿にコンプレックスのあった私は、学校で後ろ指をさされることばかり。
派手な色は似合わない。肌を見せたりスカートを履いたら笑われる。
本気でそう思っていた。
白や黒やグレーというぱっとしない色の服ばかりを選んでは、母親はいつも呆れた。
「またそんな地味な色にしたの?」
呆れるような笑うような、そんな母の一言が忘れられない。

明るい色の服を着るようになったのは、社会人になってからだった。
華やかな友人たちを見て、私も明るい色を身に纏いたいと思ったのだった。
田舎では浮いてしまうだろうパステルカラーも、東京なら受け入れてもらえる気がした。
東京は通りすがる人の服装なんて気にしないし、だれも興味がないんだろう。
ある種そっけないとも言える東京の雰囲気が、少し自分を解放してくれた。

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自分に似合う服を知りたいと思い、パーソナルカラー診断や顔タイプ診断、骨格診断に行った。
新卒2年目の頃だった。
都内で一人暮らしをしていた自分には痛い出費だったが、大きな学びを得た。
自分の好きな色や好きな服は、必ずしも自分に似合うものではないということ。
担当してくれたお姉さんが自信を持っておすすめしてくれたパステルカラーのふんわりブラウスは、私の好みではなかった。

似合う似合わないにかかわらず、着たい服を着ようと思い買ったのは、ピンクのロングワンピースだった。
マゼンタというのがより的確な表現だろうか。
ノースリーブの、ロングワンピース。
当時の自分にとっては、それだけでも大きなチャレンジだった。
それに加えて全身マゼンタとは。
イエベ春と診断された私にとっては、あまり似合う色ではないだろう。

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はじめてそれを着た日、デートで待ち合わせた当時の恋人は困惑していた。
派手だね、と少し嫌そうに呟いた。
胸のあたりがチクリと痛む気がしたが、気にしないことにした。
服なんて着たいものを着れば良いだけだと気付いていたからだった。
近所のカフェに行くだけのなんてことはないデート。
家を出るときには少し勇気が必要だったが、マゼンタのワンピースを指さして笑う人はいなかったし、好奇の目にさらされることもなかった。
私は白い服を着ようとマゼンタの服を着ようと、いつもの街はいつもの街のままだった。
近所のカフェの店員さんはいつも通り優しい。

それでもなんとなく、母の前では着ていない。
「なんでそんな派手な色を」と、呆れた顔をされるような気がするから。

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その後もそのワンピースは活躍している。
一人旅に行くときには、必ずと言っていいほど持っていく。
マゼンタに負けないように、姿勢を正し、胸を張って歩く。
自分を強くしてくれる一着。