私は小さい頃から将来に対して強い不安を抱え、明確な「夢」を持ったことがありませんでした。中学・高校時代、友人たちは部活や受験、将来の進路で盛り上がる中、私は吃音症のせいで人と深く関わることに強い抵抗を感じていました。「普通の大人になること」が私の唯一の目標でしたが、具体性は皆無でした。  

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高校3年生になって、「大学進学すれば自由になり、吃音も治るだろう」と漠然と期待し、必死に勉強を続けました。しかし、大学生活が始まっても吃音は改善せず、サークル活動やアルバイトに挑戦する勇気は湧きませんでした。周囲の学生が楽しそうにコミュニケーションを取る姿を見ては、「自分には無理だ」と自己否定を繰り返し、次第に精神的に追い詰められていきました。 

就職活動の面接でも、思うように話せず、何度も不合格通知を受け取り、ついに心身ともに限界を迎えてしまいました。結局、コネで学童保育に入社しました。吃音のことを子供に笑われたり、質問されたりしました。私はこれを機に吃音を知ってもらいたいと思い、園長先生に伝えましたが、子供を怖がらせるからめて欲しいと言われました。私は、自分の障害を言うだけで相手を不快にさせるのだと思い、とても心にダメージを受けました。障害のことを言わずに子供の純粋な質問に答えることができないと感じて、退職しました。

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そして、精神科に通うことになりました。そこの院長先生から「障害者手帳を取得し、公的な支援を受けながら、自分のペースで社会に出ましょう」と助言を受けました。それまでの私は「人と同じように生きなければならない」という強迫観念に縛られていましたが、先生の言葉で「助けてほしいときは助けを求めてもよい」と気づかされました。 

その後、私は吃音当事者向けの体験イベント「注文に時間のかかるカフェ」にスタッフとして参加しました。ここでは、お客さまの参加者に吃音を知ってもらうためのクイズを出したり、ゆっくりドリンクの注文を受けたりすることで「自分だけではない」「誰もが違う速さで話していい」という安心感を得ました。また、障害福祉分野のボランティアにも積極的に関わり、知識や配慮を持った優しい仲間たちに支えられて「サードプレイス」を見つけることができました。 

さらに、障害福祉の職場で就労した際には、事前に社長に吃音の特性を理解してもらい、私の障害について他の職員にも共有してもらいました。そんな経験を重ねるうちに、「みんなと同じでなくてもいい」「自分は自分でいい」という自己肯定感が芽生え、心が軽くなりました。  

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今では「将来の夢は何ですか?」と問われても即答できませんが、その代わりに「自分らしく働ける場所を増やすこと」「吃音当事者や障害を抱える人のサポートを広げること」が新たな目標となりました。

昨年は、吃音を持つ小中学生の交流会の運営メンバーもしました。吃音で悩んでいるのかと思えば、参加者のみんながそれぞれ夢や趣味があり、明るくてとても驚きました。助け合いの大切さを教えてくれた医師、そしてイベントで出会った仲間たちへの感謝を胸に、私はこれからも一歩ずつ、自分のペースで未来へ歩んでいきたいと思います。