幼稚園の短冊に将来の夢をかいた。ケーキ屋さんとかそんなもの。よく考えずに周りに合わせて書いた。小学生になって動物が好きになった。動物に関する本をたくさん読んだ。私はきっとこの先もずっと、変わらず動物が好きだと思っていた。親も獣医がいいといったし、私もなりたいと口にした。小6の時に将来の自分という題材の作品で、私はフクロウに餌をやっていた。

中学選びの時からすでに、進学の話はあがっていた。とはいえ中学校は偏差値で選んだ。もっと上に行かなければと思った私は、6年通うはずだった女子校を、3年で抜け出した。あそこの高校は理系進学に強い、国公立進学率が高い、文武両道をうたっている等々。どの高校も大学進学を重視していることをアピールしていた。中学入試の時は、とりあえず国公立理系を重視している学校が良いということしかわからなかった。わからなかったというより親が繰り返し言っていた。理系に行けば仕事に困らない、と。

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私立中学に入学してから、私は勉強一辺倒になった。“好き”が将来につながることは少ない、“好き”を続けるためにはやりたくないこともやらなくてはいけないということも知った。仕事は生活、お金に直結し、人生を左右するものだと。勉強しなくては“いい大学”に行けないとあらゆるところで耳にした。勉強していなければ将来を選ぶことができない、と。偏差値、年収、合格率、比較も見通しも、全部数字でできる。数字でしか世界をはかれなくなった私は、純粋に夢を見ていられなくなった。“将来の夢”なんて子供が好きな甘いお菓子のようなものだ。

気づけば獣医のことなんて忘れていて、ただひたすら“上の学校”に行くために勉強していた。中学三年の時はあの高校に行くため。高校三年間は国公立大学に現役で入るために勉強した。国語と英語が得意で数学が大嫌いだったけれど、高校生活の楽しみをほとんど失ってまで、理系にしがみついた。とても失礼なことを書くと、文系に行くのは負けだと思っていた。“上”の大学に入学するために、私は10代の半分を費やした。将来の夢をかなえるためではなく、ただ国公立大学に入学することが夢。私の人生プランはそこで終わっていた。その先には何もなかった。

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大学生になって勉強が嫌になった。目標のないマラソンがスタートして、とにかく周りに置いて行かれないようにと自分を叱咤し続ける。いつ終わるのか、いつ解放されるのか、だれか教えてほしい。もう疲れてしまった。

こうなりたいとか、あれがしたいとかポジティブな願望はなくて、あんな風になりたくない、これはやりたくないとかネガティブな願望であふれている。届かないものを手に入れようと努力するよりも、近くのものに満足するほうが楽だと思ってしまう。
もう頑張りたくない。