私は20歳の年を、フィリピンのセブ島で迎えた。
何かしたいけど、特段したいこともなく鬱々としていた私に、母親は「留学でも行ってみれば?これから社会はもっとグローバルになると思う。英語の時代だよ」と提案した。

当時19歳の私は海外に留学するリスクや、安全性などをあまり理解できていなかったため、二つ返事で「面白そう。うん、行こうかな」と答えた。幸いなことに縁があり、大学のプログラムを通じて大学2年生の夏休みに3週間、フィリピンのセブ島に留学することになった。

フィリピンのセブ島を選んだ理由は、大学のプログラムで行けるコースの一番安価な行き先がイギリスかセブ島の2択で、食べ物がイギリスよりもおいしそうだな。という安直な理由だった。

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行ってみて印象的だったことは3つある。一つ目はとにかく女性が働き者だということ。フィリピンは賃金は安いが、働く女性がイキイキと働いていて、元気をもらった。日本からフィリピンに渡航してきた日本人男性が話していたが、フィリピンでは女性が働き者のため、男性はヒモの人が多いらしい。

二つ目は女性の自己肯定感の高さ。「私たちってかわいいよね」という発言や、自分を受け入れ、認めているが故の「かわいいね」という他者への誉め言葉がとてもうれしかった。

三つ目はズンバという踊りの文化が発達しており、滞在中何度も人々が踊っている姿を見かけた。ズンバとは、コロンビアのダンサー兼振り付け師であるアルベルト・ベト・ペレスによって創作されたフィットネス・プログラムの名称であり、世界的に有名なエクササイズである。

ショッピングモールの一角で現地の住民の方が集まって踊っている時間があったり、現地の学校に訪問させていただいたときにも、当時流行っていたMOMOLANDの「BBoom BBoom」をみんなで踊ったりした。

気温が高い土地柄もあるのかもしれないが、現地で出会った人がみんな明るく前向きで、
根暗な私にとって、「こんな風に生きれたらいいな」といい意味で影響を受けることは多々あった。

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私の行った留学コースは朝の8:00~18:00まで英語漬けの、グループワークもあればマンツーマンの講義もあるようなプログラムだった。

日本人の方でも1時間二人きりで話すのは勇気がいるが、授業中はすべて英語を用いて英語の先生と話す。その時間は、恋バナなんかもしちゃったりして、滞在中の授業の中でも心が躍る時間だった。

授業が終わった後は同じプログラムに参加していた大学の受講生と一緒にカフェに行ったりショッピングモールへ晩御飯を食べに行ったり、ナイトプールに行ったり、今思えばかけがえのないたくさんの経験をすることができた。

もちろん思うようにいかなかったこともたくさんある。到着してすぐに現地のコーヒー店で
スタバでいうところのフラペチーノを購入したところ、氷が水道水を使っていたようで、一日腹痛に苦しんだ。

日本から持参した錠剤も全く効かず、「私、フィリピンで死ぬのかな」と若かった私は本気で思ったものだった。その後無事体調は回復した。他には、当時同じプログラムに参加していた女の子の間でいざこざが起こり、そこに巻き込まれるようなちょっとした事件もあった。

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たった3週間、されど3週間、異国の地で暮らし、様々な経験をした。この3週間の記憶は、もうすぐ27歳になろうとしている今になっても、私の自信要素の根底の一部になっている。

そして、フィリピンでハタチという人生の節目を迎えられたこと、同じプログラムに参加していた受講生みんなに誕生日をお祝いしてもらったことは、今でもキラキラした、懐かしいような、どこか気恥ずかしいような、そんな思い出だ。