マザーレイクで過ごした3日間は、「足るを知る感覚」を教えてくれた

私はふだん、仕事でもプライベートでもほとんどの時間をスマホに触れて過ごしています。連絡、情報収集、スケジュール管理、エンタメ…気づけば一日のほとんどが小さな画面の前。そんな私が、ある日ふと思い出したのが「死ぬまでにやりたいことリスト100」の中の一つ「藤樹の宿に行く」という項目でした。
その宿は滋賀県・びわこの近くにあり、ファスティング(断食)体験ができる場所。もちろん健康のためのファスティングにも興味はあったけれど、それ以上に私を惹きつけたのは、びわこのそばという立地でした。あの穏やかな湖を間近で感じながら過ごす時間を、いつか味わってみたいと思っていたのです。
やりたいことをリスト化しておくと、ふと時間ができたときにすぐ行動に移せるのがいい。今回も、思い立ってから予約までわずか数日。そんな急な申し込みにも関わらず、宿の方はとても丁寧に対応してくださり、心がほぐれるようなやりとりから旅が始まりました。
宿泊中は、あえてPCを持って行きませんでした。ここ1か月ほど、仕事も私生活も含めてパソコンに向かう時間があまりにも長く、気づけば目も心も疲れていたからです。3日間もPCに触れないのは、一体いつぶりだったでしょうか。
スマホも、宿に着いた瞬間からほぼ触らないようにしました。通知も見ない、SNSも開かない。最初は「大丈夫かな」と少し不安もありましたが、不思議なもので、時間が経つほどその不安は薄れ、代わりに心の中に静かな空白が広がっていくような感覚がありました。まるで、自分の中の余白がじわじわと息を吹き返すようでした。
今回の旅のメインは、人生初の「超少食ファスティング」。断食と聞くと「空腹に耐える」というイメージが強いかもしれませんが、この宿での体験はまったく違いました。
出されるのは、発酵食品を中心とした、体にやさしい食事。少量でも味わい深く、噛めば噛むほど旨味が広がります。食事のときは「ひと口48回以上噛む」というルールがあり、最初は「そんなに?」と思ったけれど、やってみるとこれが本当に深い体験でした。
48回噛む間、目の前の食べ物の香りや温度、食感に集中します。すると、普段どれだけ急いで食べていたのか、いかに「ながら食べ」をしていたのかに気づかされます。食べることだけに集中すると、不思議と頭の中の雑音が消え、ただ「今ここ」にいる自分を感じられる。こんなにもシンプルな行為が、こんなにも贅沢だなんて思いもしませんでした。
宿から歩いてすぐのびわこは、想像以上の存在感でした。地元の方は「びわこ」とは呼ばず、「Mother Lake」と呼ぶそうです。その名の通り、どこまでも包み込んでくれるような、母なる湖の静けさと力強さ。湖面を渡る風、ゆっくりと変わる空の色、遠くで聞こえる鳥の声。そのすべてが、都会での慌ただしい日々では味わえないものでした。
何もせず、ただ湖を眺める時間。スマホを持っていたら、きっと写真を撮ることに夢中になってしまったでしょう。でも今回は、何も記録せず、ただ自分の目と心で受け取ることを選びました。その瞬間瞬間を、全身で味わうために。
滞在中、施設の代表・安田さんのお話を聞く時間がありました。その講義は、私の好奇心をこれでもかというほど刺激し、心を揺さぶりました。
人は習慣と当たり前に縛られていること。多すぎる情報やモノが、本当の豊かさを見えなくしてしまうこと。「足るを知る」という言葉の意味を、初めて体の奥で理解できた気がします。
そして、安田さんが引用してくださった105歳まで生きた医師・日野原先生の言葉—— 「習慣に早くから配慮したものは、おそらく人生の実りも大きい」 この言葉は、私の胸に深く刻まれました。
たった3日間、スマホから離れただけ。それなのに、心の軽さは驚くほどでした。情報の波にのまれ、常に誰かとつながっているようで、実は自分から一番遠くにいたのだと気づきました。
びわこの静けさ、美味しい発酵食、ゆっくり噛む食事、心に響く言葉。これらはすべて、スマホを置いたからこそ全身で感じられたもの。
これからの日常に戻っても、あのとき感じた「足るを知る」感覚を忘れず、少しでも自分の中の余白を守っていきたい。
一番若い今日を、大切に、丁寧に生きよう。
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